旧日本人の共同体的統治システム2
そして日本の共同体が大きな組織として発展するときに確立されてきたのが「天皇制」というシステムです。丸山真男は天皇制の特徴についてこう書いています。
「統治権の帰属者と実質的な権利行使者が分離している」
この意味をかみ砕くと、平安時代から昭和の新しい憲法ができるまでの間、日本を統治するための権威は常に天皇が持っていました。しかし実権を持っている人間はころころ変わりました。平安時代までは藤原摂関家を中心とした太政官が握っていましたし、鎌倉時代から江戸時代までは一時期を除いて武士が実権を握っていました。明治維新を経て敗戦までは、官僚(太政官)や軍が実権を握っていたわけです。中国や朝鮮半島の場合は、皇帝や王様が直接、実権を握っていたのですが、日本だけが天皇と被統治者との間に実権者をはさんでいたのです。
そして天皇は神社のご神体のように御簾の奥に隠れていて、表に出てこないことで神聖性を保っていました。武家とは直接話すこともないのです。これは知恵だと思います。天皇家はほとんど政治の表舞台に出ることはなく、天下を取った勢力を後から追認していました。このような仕組みだったからこそ、天皇家は千数百年の間連綿と滅びることなく続いたのではないでしょうか。これが日本の共同体的統治の特徴なのだと思います。
丸山真男は、このような正統性のありかと決定権のありかが違う天皇制の仕組みについて、実権は徐々に下の人たちに降りてくる傾向があり、また同時に実権がどんどん身内に集中してくる傾向があると指摘しています。貴族や位の高い武士だけが実権を持つのではなくて、中流層の人たちにも実権が分け与えるられるということでしょう(だから会社でもミドルが実質的な力を持っているのです)。これが日本で市民革命が起こらなかった理由だったのではないかと考えられます。
権威は常に天皇にあるけれど、天皇はただ単に奉られているだけで、富の配分を決定する政治的な実権は天皇の下にいる中間的な人々が握ったというのは、非常に面白い社会の仕組みかもしれませんね。