1940年体制がタコツボ社会のルーツ2
企業間の自由競争もみられなくなりました。なぜならば生産については、政府(企画院・軍部)が物資動員計画を作成し、商工省を中心に物資を業界別の産業団体(統制会)に割り当てたからです。石炭がこのくらい採れるから、何万トンは発電に回して、何万トンは製鉄用のコークスに回す。そのための配船計画はこうする・・・」とすべてを政府がコントロールしたのです。
産業団体が配下の各企業に原材料を割り当てたので、企業間の自由競争などなくなってしまいました。そして産業団体に入らない企業に生き残りの道はありませんでした。産業団体の職員は主に各企業の退職者だったそうです。戦時生産体制に対応するために下請け構造も発達しました。このようにして、いまに残るタコツボ社会が形成されていったのです。
しかしこんな巨大な計画経済がうまく回るはずもなく、材料が足りなくなったり、生産を引き上げるために「利潤動機」へ回帰しようとしたり、運営は混乱したようです。所得税の源泉徴収制度も40年に導入されました。地方税制調整交付金制度もこの頃できたものです。徹底した中央集権化がはかられたわけです。
いかがですか、ここに旧日本型のタコツボ社会、ピラミッド社会、バブル以降のタコ足経済へのまっすぐなレールが引かれていると思われませんか?
このように「40年体制」とは、「限られた資源を戦争のために総動員しようとする"総力戦体制"のために、企画院が作った"物資動員計画"などによる計画的な資源配分を企業を実行機関として統制的に実現するために人為的に作られたシステム」であり、これこそが「現代日本の経済システムの原型」であるという指摘があります(岡崎哲二・奥野正寛編。シリーズ現代経済研究『現代日本経済システムの源流』 日本経済新聞刊)。
自分たちがつくった共同体に、物質的にも精神的にも依存する旧日本的社会システムは、既に戦前に完成されているのです。
みんな60年後もこんなものに相変わらず支配され続けていて、まともなビジネスができなくても、恥ずかしいとは思わないのでしょうか?