お神輿経営は共同体的統治の産物
このような非合理的・精神主義的な発想で、物質的に不利な戦争に勝てるはずもなく、日本は焼け野原になってしまいました。
しかしそれでも、明治維新で確立され、その後の教育を通して刷り込まれた「忠孝一致」は死にませんでした。「天皇=国家全体に対し、忠孝一致でなければならない」という発想は、敗戦時にほとんど壊滅しましたが、「生きていく上で忠孝を一致させる対象を見付けるのが自分のスタイルだ」という想いは、ほとんどの人の心の中に残ったのではないでしょうか。
「天皇制」の精神支配はなくなりましたが、その天皇は「八犬伝」の八房の玉のようにバラバラに分かれて、各企業の中に飛び込んでいったのです。それが結晶化したのが権威と実権が二分化されているお神輿経営なのです。
社長や役員は、以前の天皇のように担がれる役回りです。ミドルの担ぎ方が乱暴だと人事権を使って担ぎ手をどやしつけますが、それ以外は会社がどんなに傾こうと鷹揚なものです。ですからわたしは、お神輿経営のことを「カイシャ天皇制」とも呼んでいます。継ぎ手であるミドルは、「これは社長案件だから」とお墨付きをもらって勝手なことをやっています。失敗しても誰も責任は取りません。また、40年体制では利潤動機が重視されなかったことを引き継いで、シェア拡大には奔走しますが儲けには無頓着です。株主は会社という共同体の部外者なので考慮する必要のない存在です。だから基本的にこの制度では実権者をチェックすることができないようになっているのです。