木下 医師が被曝問題に対する当事者感覚を失ってしまっていると思います。
そうした状況が、「被曝回避について意識が高い」はずの医師たちの間で起きているというのが問題なんです。
運営者 それはね、なかなか難しいんですよ。出来ないんですよ。
医療行為は、学会でオーソライズされた、エビデンスベースの話でなければ。相互牽制がかかっていて危険側の判断をするのは難しいと思います。
各科の学会が策定する治療ガイドラインに沿った医療が奨励されてますしね、
それは医療水準を一定に保つためなんですが、一方でパターン化が進んでいるということです。
現在は、診断のアローワンスの幅がある程度あるのであれば、いちばん安全側の判断を下し続けていれば、「放射能は健康に実害がある」と言わずにすむレベルにあるんです。そういう状況下では、「やばい」という方向にはなかなか診断をつけないと思いますよ。
木下 でもね、僕の祖父は和歌山の田舎から出て大阪で開業した歯科医師だったんです。
彼を見ていた感覚からすれば、昔の歯医者は歯の異常についてどうやって直すか、どのように対応するかしか考えてなかったですよ。歯科技工に関しても、夜中まで自分一人でやってましたから。
診療の事以外は何も考えてませんでした。そういう献身的な感覚が身に付いていた人でした。
一方で、僕が出た高校は、理科系の人間は、医師を目指す人間が多い高校でした。だから医者の息子が多かったのですが、「患者のために医師になる」のという目的意識を持っている人間は殆どゼロでしたね。
運営者 医師にプロフェッショナリズムが欠けているのではないのかという指摘ですね。
木下 かなり欠落しているのではないかと思うんです。
運営者 そういう人は少なくないかもしれません。
もう一つの問題は、実は医療の進歩が放射能の健康被害に対する診断を妨げている側面もあると思うんですよ。
昔は、名人芸じゃないと判別のつかなかったレントゲンが、医療機器の発達によって明瞭になり、3DCTになって、前後左右あらゆる角度から立体的に見られるようになっています。検査も進歩して、様々な数値を確認できるようになっています。
そうなっちゃうと、逆に言うと、「そこから見えないものを見よう」という努力を医師がしなくなってるかもしれないんです。これまでに知見がないことについては、平気でまたいじゃうということです。
だって、CTで見れば診断がつくことについては、はっきり言うことができるじゃないですか。この問題が複雑なのは、放射線の影響による健康被害は、見えないということです。そこだけの問題かもしれないんです。
木下 医師は視認できるものは認めますが、そうでないと分かりませんからね。もし画像を通して放射性物質が体内にあることが確認できるようになれば、状況は一変するでしょうね。
運営者 そういうことです。
木下 だから放射能防御プロジェクトの医師メーリングリスト内で、市民運動的感覚が強い傾向にある医師が「署名をしてください」というメールを共有したりしますが、署名もある種「視認可能」なことなんです。
運営者 つまり左翼的な署名活動は既に昔から運動として存在するもので、多くの人に認められていますから。人間の判断というのは、「既にあるもの」として多くの人に認知されているものは無条件に良しとして受け入れるというところがあるんです。
けど、この放射能に対する戦いというのは、その思い込みをぶち破れなければならないという戦いなんです。
木下 私もそう思います。きちんと認知ができていないものに対して、どう向き合うかという問題です。