日本は「豊かな発展途上国」
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 メディアの側にしても、記者クラブに入っている大手メディアの立場からすると、役所というのは情報をくれるところなんです。ありがたい存在ですよね。政治家の悪口というのは、特に情報力のある役所の官僚が教えてくれるわけです。だから役人が都合が悪くなったら、政治家はメディアによってつぶされてしまうわけです。
まさに田中真紀子がやっている戦いは、この構造を明らかにしようとしていることだと言わなければならないと思います。「敵は本能寺」なんですよ。なんでそれがわからないのかな。
飯坂 そんなことでは「じゃあ一体、メディアというのは何のために存在するのか」と思いますよね。
運営者 ちょっと前までは、記者クラブに入っていない僕らが取材に行っても、役人は建前上は門戸を開いているけれど、どんな情報も出そうとはしませんでしたよ。大手メディアというのは、その時その時の権力者にへつらって、彼らの上前をはねて食べていくために存在するんですよ。社会部はともかく、政治部経済部はまあこの構造の上に乗っかっているでしょう。
飯坂 何でそんなセクショナリズムがまかり通るんですか。
運営者 メディア=セクショナリズムですよね。古い日本の組織の場合は、セクショナリズムというのは非常に重要な組織文化です。なぜかわかりませんが、おそらくみんなが仲良く棲み分けていくために必要なんでしょう。それ以上の効能はないですよね。前から言ってますけど企業というのは「社員の生活」のために存在するわけであって、消費者のためにあるわけではありませんから。
うまく棲み分けることの方が大切ですから、官僚のそのような操作にしても、政治家のビヘイビアにしても、メディアの小判鮫的な働きにしても、そうした組織的な哲学をプレーヤー全員が共有しているのかもしれません。だから唇歯輔車でうまく回っていたのかもしれませんね。
飯坂 そうすると、先日の岡本さんと神保さんとの対談にあるようなジャーナリズムの精神は大企業メディアとは相容れないものということになってしまいますね。
装置産業として媒体を提供する会社は株式公開して広く資金と広告を集める。一方、ニュースを含めてコンテンツを提供する会社は、個人的経営でリスクをとって真実を伝える。こういう風な構造になった方がいいんですかね。
運営者 全てのメディアはNPOになるべきだという考え方もあるんですよ(笑)。メディアの持つ公益性から考えると、ありうべき姿だと思いますよ、特に有限資源を使っている放送業なんかは。
飯坂 いずれにしても発展途上国の段階と、国が相応に豊かになってからでは考え方を変えなければならないのでは。
運営者 日本は「豊かな発展途上国」なんだと思いますね。精神的には立派な発展途上国ですよ。
前回の座談で、「われわれには文芸復興が必要である」という命題を提示しましたが、では「ルネサンスとは何であったのか」。
塩野さんが最近本を書いていますが、僕なりの解釈をしてみますと、ローマは世界帝国を築いたわけですが、多神教国家ですからあらゆる宗教を受け容れるわけです。キリスト教は排他的な一神教なので最初は排斥されましたが、300年くらいたってローマ社会に徐々に浸透し、313年のミラノ勅令によってローマ帝国に容認されます。ここからキリスト教の時代が始まり、中世ヨーロッパ社会はキリスト教が治めるところとなります。
その中世という時代には、ヨーロッパはアラブに文化的にも、軍事的にも負けていたわけです。
何百年かたって、「これってちょっとおかしいんじゃない」と考える人たちが出てきました。塩野さんの本によると、そういう人たちというのは「何かを見たい聞きたい知りたい」と考えるような人たちだったんです。「なぜこれはこうなのか」とか、「どうしてなのか」と疑問を感じる人たちです。
そういう疑い深い人たちが出てきて、「これって、ちょっと変なんじゃない。地球が宇宙の中心なのではなくて、地球が太陽の回りを回っているんじゃないかな」と、とんでもないことを考え始めたりするわけです。それで、大体そういう人は教会によって信仰を惑わせたとして、火あぶりにされてしまうんですけどね。
飯坂 火あぶりにはなってないけど、ガリレオが屈服させられたとき、「それでも地球は回る」とつぶやいた話は有名です。