文明の創造とは、「内なる自己との戦い」
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 では、教会が火あぶりにしていたものはいったい何だったのか。キリスト教を中心として作り上げてきたピラミッド型の秩序に逆らわないという非常に封建的な発想が中世を支配したのですが、それにルネッサンス人は異議を唱えて、「実は真実はキリスト教にはないのではないのか、人間そのものの可能性の中に今後を切り開く大きなカギがあるのではないのか。神じゃないんだ、自分たち自身をもっと信頼しよう」と考えたんです。
そういう精神史上の展開があって初めて自分たちが自立して物事を考えていけるようになったんです。
そしてそれからまた何百年かたってニーチェに至って、初めて「神は死んだと」言えるようになったんです。それを経て、科学技術の発展が可能になった。科学や思想の発展の背景に神を措定せずに済むような考え方が、ここにおいて可能になったわけです。まあ実際のところは、カントの認識論でも最終的には神は必要とされていますから、神の影響から脱するためには大変な努力が必要だったのですが、部分的にその呪縛を解くテクニックを洗練させてきたのでしょうね。
飯坂 「平らな地球の果てから落っこちてしまう」恐怖をはねのけて、喜望峰やアメリカ大陸を発見しました。それでアラブや中国にも勝てるようになった。
運営者 これはね、実は「内なる自己との戦い」なんですよ。人が大人になるためには、母親の呪縛を断ち切る戦いが必要であるのと同様に、実は個人の可能性というのは、個人の中に総てあるんです。だけどその可能性の発露は、暴発するケースもあるし、なかなかコントロールが難しい。だから原始的な社会において、個性の発露を社会的にコントロールするために抑圧的な封建制度を作ってみたり、あるいは自分の考え方にタガをはめるというのはすごく便利なことなんです。それを中世のヨーロッパ人はやってたんですよ。
それに対し、ルネサンス人は「ノー」を突き付けた。これは精神史的に非常に大きなエポックであったと思います。
実はこの前書いた「王様と私」の話も全く同じなんです。あの当時のアジアの人間は、まあ今でもそうなのですが、封建的制度によって自己を抑圧しているためにヨーロッパに負けているということですね。だから日本の明治時代でも、鹿鳴館で舞踏会をやってヨーロッパの進んだものを「形だけ」取り入れようとするんだけれども、中身が付いていかなくて猿まねになってしまうという、まったくおんなじシーンが「王様と私」の中にも出てきますよ。
そうじゃなくてね、「自己を解放」しなきゃ。
アジア人は自らの可能性を信じずに、旧来の価値とか今まで作った社会的秩序を要請し、封建制度の中に身を置くことによって生活を安定させることを優先して生きている人たちなんですよ。
つまりわれわれはそこから脱して何かを回復しなければならない。それはいったい何なのかと言ったら、「可能性は自分たちの中にこそあって、外から与えられる秩序や価値というものは信じる必要がない」ということですよ。飯坂さんも私も、あまりよく考えずに就職した会社を辞めるプロセスの中でそういった意識の改革を自然にやったのではないかと思うんです。そういう局面がどんな人にも人生の中で繰り返してあるはずです。それはだいたい最初は子供のころにあるはずですね。権威に対して矛盾を感じ、それに小さな反抗をするということが最初のスタートになっている。
飯坂 そんな反抗は、なかなか子供の時にはできないよ。
運営者 やってるんですよ飯坂さんも。そういうことを子供の時にトライして、しかも成功した経験がなければ、大人になってからやろうとしてもできないんですよ。挫折は屈折しかもたらしません。団塊の世代を見ればわかるじゃないですか。
飯坂 そういうもんかな。でもね、占いって常に廃れないじゃないですか。占いを信じる人というのはそもそも神様を求めている人なんですよね。