神様が欲しい人たちもいる
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 そういうもんかな。でもね、占いって常に廃れないじゃないですか。占いを信じる人というのはそもそも神様を求めている人なんですよね。
運営者 その通り。まったく正しい。
占い師というのは一体何をやっているのかというと、それはすごい簡単なことで、彼らは相手が考えていることをどのようにして知るかというと、表情の変化なんですよ。だから占い師は自分が何かを言ったときに相手がどのような表情をするかを観察しているわけ。その表情の変化によって自分が言うことを修正していっているわけです。
つまり占い師には「こいつの人生はこうなる」なんてことが見えているわけでは一切なくて、自分が言った誘いの言葉に対する相手の表情の変化を見ながら話を描いていく。しかし占い師がやらなければならない重要なことは、客が占い師の前に座っているということは、何かをしてほしいから座っているわけで、それがいったい何なのかを読むためのヒントを自分から投げかけて、表情の変化を見ながら「こいつはこう言って欲しいんだ」ということを読み取って、その方向のことを誘導的に言ってやるということが一番できる占い師の仕事なんです。
つまるところ、占い師の前に座っている人は、自分の心が弱っている人なんです。そういう人は、自分の心の中身が、すでに表情に出てしまっているわけです。自分から「読んでほしい」と外に出している状態にありますね。だから占い師は、「この人はこう言って欲しいんだな」ということを読み取って、それを言ってやっているだけです。本人の望みをそのまま投げ返しているだけなんです。
飯坂 占い師の所に来る人というのは擬似的な神を欲しがっていて、占い師はその神の代わりになってやるということですね。
運営者 でも本当は、やっぱり神は自分の中にあるということなんですよ。
塩野さんの本の中ではね、僕もローマに遊びに行ったときに言われたのですごくよく覚えているのですが、神を信じない人々のことを「ライコ」というんだそうです。どんな国でも、国民のうちの1割か2割のアパークラスは神を信じないそうなんです。そういう連中のことをイタリア語ではライコというらしい。そして残りのうちの6割か7割は敬虔な宗教信者であり、神様が欲しい人たちなんです。「プレジデント」というのは、そういう読者のための雑誌だと言われましたね。最近はその傾向が甚だしくなってます。
当時のメモには、塩野さんの言葉として、こうありますよ。
イタリア語で「ライコ」というが、優秀な人は絶対に非宗教的である。こうした人が社会の上層を占めている。そして中流の人は教会へ行く。下層の人は教会へ行かない。「プレジデント」は宗教特集を通して中流の人に満足を与えるという役割を果たしてきた。だが、これからはそんな時代だろうか?
で、最後に残った1~2割というのはやっぱり神なんか信じない人々なんですね。
飯坂 神も仏もあるもんかと。
運営者 まあ、世の中の仕組みがそのようになっているわけです。そして重要なことは、ルネサンスを起こしたのはこのライコの人々なんですね。それで我々の話の中では、われわれはインテリということになっているので、インテリというのは神を信じる人々ではないわけです。
飯坂 神を信じる人々のことはインテリとは呼ばないよ。
運営者 正しい。私もそう思います。インテリとは、自分たち自身を信じる人たちのことです。だから宗教を信じているという指導者層の人もいますが、それは宗教にぶら下がっているんじゃなくて、宗教の中を生きてるんです。「自分の足で立って歩いているんだぞ」というのが前提なんですよね。それは強い心を持っているということなんです。
ギボンは、「文明化された人間」は以下のようなものであると書いています。
「彼はなにものにも-女にも、狩りにも、酒にも、名誉にも、宗教的なものにも-溺れない。彼は平和と和解の政策を推進しなくてはならない。彼は不名誉な行動を、約束を破ったり、欺いたり、偽善者になったり、自らを欺くことがあってはならない。彼は法と既存の秩序を守り、芸術を育て、敗者には寛大である」
塩野さんは、私がお願いした対談記事の中で、ユリウス・カエサルに関してこう言ってますね。カエサルは遊び人で、また非常に女性にもてたわけですが、
女にとっては非常に腹が立つ。彼がのめり込んだ女というのはいないでしょう。 彼は多分、唯一自分にのめり込んだんですよ
つまり誰に対しても本気で惚れなかったということですね。僕もそうだと思います(この部分は後にリピートします)。