なぜ「民のために殉ずる覚悟」なくして
トップに昇り詰めるのか
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 ところが小泉政権が9割の支持率だとしても、その中の8割方の人間は、神を信じたがっている人、権威を欲している人、秩序を重んじたがっている人なんだということです。
飯坂 小泉首相のことを神だと思っているかも。
運営者 まあ、小泉政権のことをポピュリズムというのであるならば、そういう人々の支持を得ていることを持ってポピュリズムということになるでしょうが、支持率が高い政権はすなわち総てポピュリズムということになってしまいますね。
さりながら、職業倫理というものがあって、近衛内閣なんかそうだと思うんですが、本質的には大政翼賛的なのに、あれだけの国民の支持を得るということは、国民を誘導しているわけですよね。その誘導を意図的にやるかやらないかという点に、リーダーの非常に大きな人間性の違いがあるのではないかと思うんです。
飯坂 近衛はともかく、広田弘毅あたりはテロに屈したというのが大きいのではないの。「いつおれも殺されるかわからない」という状況なわけですから。浜口雄幸も犬養毅も高橋是清も殺されたし、陸軍の永田鉄山さえも殺されましたから。
運営者 でもね、政治家というのは何のためにいるのかというと、死ぬためにいるわけですから。そう言えなければ政治家になってはならない。突きつめて考えるとね、そういう人間でなければパブリックに忠誠を尽くすことはできないわけですから。人格高潔にして民のために殉ずる覚悟がなければ。
森首相なんかには、そういう部分は全くなかったわけですよ。ではなぜ彼が総理大臣にまで昇り詰めることができたのか、それは、意識上の能力で言うと、「組織感覚力」という能力に彼は際だって優れていたからです。つまり、人々の利害関係の広がりと構造を認識する能力だけは突出していた人なんですね。あとね、「関係構築力」。これがずば抜けてたんだと思いますよ。ですから自民党の党務ではおそらく優れた能力を発揮していたと思うし、だから何度も幹事長や総務会長をやっているのだと思います。単に組織を維持することが目的であるならば、彼のような人材は使える玉だと思いますよ。
飯坂 竹下登もそうだったし、大本は田中角栄だったんでしょうね。
運営者 これまで日本のサラリーマンに大体要求されていた能力というのも、これに似ていて、相手との関係をうまく作る能力や、後は「利害調整力」だったんです。
飯坂 「一から何かを作る能力」はあまりないかもしれないね。その能力はある人とない人といるでしょう。でも組織の中で関係を作ったり維持する能力はみんな持っているんじゃないかな。
運営者 例えばね、「コミュニケーション能力」って必要じゃなかったんですよ。
飯坂 「阿吽」だから。
運営者 「あうんはコミュニケーションなんだ」と言い張ればそうかもしれないけれど、例えば平岩外四さんが、木川田一隆の秘書をやっていて、「君、あの件はどうしたかね」と聞かれて、「ハイ、あの件は、やっときましたので大丈夫です」。「そうか、アッチはどうだ」、「ハイ、アッチもやっておきました」、「わかった」といったやりとりで間違いがなくことが進んでいた。これが普通だったんです。
ちょっと待てよと思いますね。