宗教を信じている人が強い理由
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 ちょっと待てよと思いますね。
もし、そういう阿吽のコミュニケーションができるのなら、いきなり駐車していた車の窓をたたき割る必要はなくなるわけです。つまり、「とにかくこちらはこう思っているんだから、このようにしてくれよ」と相手に伝える能力があれば、車の窓を割らずに済むわけです。
飯坂 いや、そんなものは昔からあった試しがない。フリーアルバイターで借金が何百万円もあるような人間でも、「自分でも外車を買うことができる」と思っているから割れるんじゃないのかな。そういう漠然とした不満があるのでは。高度成長の頃にはまだ若年層マーケットはあんまりなかったと思うんです。最近はそれができてきたので。「何であいつが俺が持っていないものを持っているんだろう」と……。さらにモノでもエンターテインメントでも、消費することによって社会との繋がりを実感できるから、そこからの疎外感があるのかもしれない。
運営者 そういう疎外感を感じているのかもしれませんね。
だけど、当たり前の事ながら、自分が望んでもかかなわないものがあるからと言って、それを攻撃しても自分のものになるわけではないじゃないですか。
人間には自分の可能性を認めるのと同じぐらい、「諦め」が必要なんだと思いますよ。それができる人は、自分と他人の違いがわかる。「自分には心があるし、人も自分と同じような心を持っている」と思ったときに、「じゃあ、自分と相手は全く違うものを望んでいるだろう」と考え始めますよね。
「自分と他人は違うんだ」と思わなければ、そして「すべての他人と自分は違うんだ」と気がつかなければいい仕事はできないんです。でもまあ、若いうちはわからないんですよ。だから自分と相手を同一視する傾向がある。
飯坂 他人を認めるというのは、一番初めは母親との関係においてだと思うのですが、これまでアジア的な国家では、核家族というのは存在しなかったわけです。
欧米では、個人がそれぞれ神と契約してますから、核家族でも問題が少ないですよね。ところが神と契約をしていない人が核家族になってしまうと、拠り所が何もなくなってしまう。ご先祖様とかお父さんくらいでは最近では全然ありがたみがないですからね。
運営者 ええ、さっきの話の続きでいうと、宗教を信じている人が何が強いかというと、宗旨は別にして、「自分が心を持っていること」に気がつくということなんです。そうすると「他人も心を持っている」と考えるでしょう。少なくとも欧米人が神と契約しているということは、「他の人も神様と契約をしているんだろうな」と感じているはずです。そのように間接的に神を意識することができる。
飯坂 そうすると、「隣の人を殺したら神が怒るに違いない」とは考えるでしょうね。
運営者 仏教的な文化がそもそも持っている神との関係性は何かというと、「全体総てが一体化されたもの」なんですよ。つまりみんな一緒のところにいるし、すべてを共有しているわけ。飯坂さんも僕もつながっているわけ。だから、相手を殺すということは自分を傷つけることになるんだと思うんですよね。また自分を傷つけることは他人も傷つけることになると。ところが心を意識しなければ、そのような紐帯を意識できませんよね。
そして「どうして人を殺しちゃいけないの」と言っている奴は、「自分が持っているような心を相手も持っている」と考えず、相手を物化して認識しているわけです。物なんですよ。物をごみ箱に捨てるのと同じように、「相手を捨てても傷つけても問題ないだろう」という考え方をしているんだと思います。
他人との関係性とか社会性というのは、自分が心を持っていて、相手も心を持っていることに気がつくかどうかだけに依存しているんだと思います。