日本を支え続ける「真空的なる価値」
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 ひょっとすると人間は、そういう自分の心と一体化したものを持たなければ、自分の心を自立させることはできないのかもしれない。異性に対してそれを求める人もいますよね。自分自身を仮託する対象として異性を対象としている。これはなかなかすごいことだと僕は思いますよ。
塩野さんは私がお願いした対談記事の中で、ユリウス・カエサルに関してこう言ってますね。カエサルは遊び人で、また非常に女性にもてたわけですが、
「女にとっては非常に腹が立つ。彼がのめり込んだ女というのはいないでしょう。彼は多分、唯一自分にのめり込んだんですよ」
つまり誰に対しても本気で惚れなかったということですね。僕もそうだと思います。だけど普通の人は、自分自身の心を寄りかからせる対象を必要とするものなんです。
飯坂 それは天皇や神風とどうつながっていくのかな。
運営者 天皇は配偶者や周りの人たちよりかなりより遠くにありますよね。それでも信じることができる、自分とつながっていると実感できる権威主義の最高度のものでしょう。
飯坂 戦前の天皇制というのは、人類が生み出した社会制度の中でも特筆すべきものだと思いますよ。
運営者 だからやっぱり、日本人は天皇と心の中でしっかりつながっていたんだと思いますよ。「進め一億火の玉だ」、ですからね。徹底的に己を殺し、全体の中に同化していく。普通人間は、自分のためにならないのであれば、アホらしくて働きませんよ。それがろくすっぽ飯も食べていないのに、小さな身体からは信じられないほどの恐ろしいパワーを発揮したのは、御真影でしか見たことのない、それもとっちゃん坊やのような足の短い丸メガネの青年のためなんですよ。しかし日本人は彼のために働くことで全体に結びつき、国を動かしていく。
そのつながりは容易なことではほどけなくて、形を変えて社会システムの中に落とし込まれて行き、戦後の高度経済成長を支えたのでしょう。
飯坂 話は飛ぶけど、「米は日本の命」だというでしょう。これは横溝正史の小説に書いてあったことなんですが、農村においてコメを作っている農家のほうが、畑を作っている農家に対して威張ることができたらしいです。ヒエラルキーが上なんですね。米は貨幣でしたからね。だから農村にとって、「米を作るのをやめて畑をつくれ」と言われるのは、「差別される身分になれ」と言われるようなことなんですよ。だから反対してるんですね。
何でもそうだけど根っこにあるのはそんなたいしたことはない理由じゃないかと思うんです。
運営者 竹中さんは、政策政策とおっしゃっているのですが、それは経済合理性で物事を判断しよう、あるいは人々の行動を説明しようという発想だと思います。それはそれでまた、今までの日本になかったことなんですが……。
飯坂 「合理性」自体がなかったですからね。
運営者 おっしゃる通りなんですけど。ということは今までは非合理でよかったということです。では彼らは「合理性」以外の何を信じていたのかというと、米とか天皇とか、そういう真空的なる価値なんです。
なんか話が全部ヤバそうなんですが、だけどこういう話がタブーとされるのも、われわれの心や、それに基づいて形作られてきた社会の根本に触れる話であるからなのでしょう。