旧日本人の意識構造の中核とは
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 今回はですね、新日本人と、旧日本人の意識の違いについて、今までさんざん議論してきたのですが、その意識の構造の差は一体どうなっているのかについて考えてみたんです。ひつこいようですが。
旧日本人の意識の場合、キーになっているのは、非常に「集団依存的」、「中央集権的」な考え方をしていることだと思うんです。自分がその集団の中の一員で、彼らが行動するときに一番気をつかわなければならないのは、自分の隣にいる人との関係なんです。隣にいる人との関係とか距離しか考えていないんですよ。したがって、仲間への利益供与を中心に物事を考えることになるわけです。
それから、基本的には他人のまねをします。他者模倣による認識とか、それに基づいた行動になってしまうということ。
ここを中心にして旧日本人は、仕事観とか対人観念とか、価値観を構築していると思います。そうした意識が、自分自身を自立させようとする自然な心の動きを封殺しているのでしょう。これが旧日本人の意識の構造の中核部分であると考えられます。
一方で、新日本人のメンタリティーの中核になっているのは何かと考えますと、ヘイコンサルティングのEQモデルによれば、まず最初に自分自身の仕事や、他人が自分に期待していることは何か、自分にできないことは何かという自己認識をしっかり固める必要があり、そこから他人が何を考えているのか、何をして欲しがっているのかという他者認識と、もう一方は自分自身の気持ちのコントロールをしながら仕事するという態度に進み、その他者認識と自制心が両方うまくミックスされたところで、初めてコミュニケーションの能力や、対人影響力、チームワーク力などといった社会的な能力が合成されるわけです。
つまり自分自身のことがよくわかって、同時に相手のこともきちんと認識することができなければ、他人に影響を及ぼすということは不可能であるということなのです。
そして、1人の人間が影響を及ぼす相手というのは、最初は自分の周辺の人間です。それはお客さんだったり、自分の属する組織の一員であったりします。しかしそれが、最終的には社会全体にまで繋がっているわけです。このサイトでは「人は仕事を通して社会につながっている」という言い方をしていましたが、つまるところ自分の意識がそのような形で社会全体にまでつながっているわけなのです。
そういう一連の流れができているわけです。
それが一方、旧日本人の場合はどうなっているかというと、スタート地点である自己認識の部分が、すでに「自分はカイシャ天皇制の中で生きている」という認識になっていますから、組織の外の他者を認識するとか、自分を律するなどという方向には気持ちが向かっていかないわけです。
カイシャ天皇制という自己認識の範囲だけで、価値観や仕事に対する考え方が規定されてしまうことになってしまう。
新日本人であれば、しっかりと自立した存在として自己認識した後に、他人のことを考えるとか、自分をコントロールしなければならないと考え始めます。まともな仕事をするためには、自己認識と、他者の認知、そしてセルフ・コントロールを合致させるという、非常に複雑なプロセスをこなしていかなければなりません。しかし僕はそこに、合理的思考や論理性の発達の契機があるように思います。