新日本人は
「自己認識・他者認知・自制」を統合する
インタビュアー 飯坂彰啓
参考 ヘイコンサルティングのEQモデル
運営者 新日本人であれば、しっかりと自立した存在として自己認識した後に、他人のことを考えるとか、自分をコントロールしなければならないと考え始めます。まともな仕事をするためには、自己認識と、他者の認知、そしてセルフ・コントロールを合致させるという、非常に複雑なプロセスをこなしていかなければなりません。しかし僕はそこに、合理的思考や論理性の発達の契機があるように思います。
飯坂 インテグリティ(誠実さ)とインテグレーション(人格の統合)が不可欠ですよね。
運営者 インテグレーションと言うと包括的ですが、それを要素分解していくと、自己認識とかセルフコントロールとか、他者認知になるということです。
飯坂 でも、旧日本人の方はそこを統合せずに、ばらばらに動いているわけですよ。それどころか、旧日本的組織の中でサラリーマンとして要領よく振舞おうとすれば、人格の統合に逆行します。不健全なストレスがたまるのも無理ないですね。
運営者 ええ、その通りですね。カイシャ天皇制の中にいるという自己認識だけで他人との関係を調整しようとしますから、何となくとか、なあなあでしか他人との関係を作ることができないわけです。自分の自己認識と、他人が持っている自己認識との間の調整を何となく図っているという感じでしょう。
飯坂 旧日本人でも、他者認知やセルフコントロールの必要性は感じる局面があるのでしょうが、その統合を図らなければならないとは考えないわけですね。
運営者 「そんなことをする必要はない」と考えているでしょう。
そして、新日本人がこうした考え方を持ってるとするならば、個人として社会の中で生きていくときに、必然的に以下のように考え始めるはずです。「それがなければ生きていけない」という危機感を抱くからです。
まず最初に、他者の承認を行うはずです。「自分と他人は違う存在なんだ」ということを、いやというほど実感的に認識するわけです。これはすごく重要なことですよね。だけど、旧日本人の場合は、「自分と他人は何となく同じような存在なんだ」というあいまいな認識にしか到達しないわけです。
飯坂 天皇を通してしか相手を認知・承認できないわけですから、「同じ天皇を信じている仲間」ということで、それ以外の違いを認識することはできないですよね。
運営者 だから、いくら朝日新聞に入社して朝日人になったからといって、「どうして、靖国神社問題ばかり強調しなければならないのか」という疑問を抱く記者はいるはずなんですよ。新日本人であればね。ところが旧日本人であれば、そういう疑問を感じる必要はないわけです。
飯坂 日本の会社の新人研修とか、部下と一緒に飲みに行くという行為も、集団と考え方を全く同じにしていくことができるかについてのテスト、あるいはブレインウォッシュなんです。そこで齟齬が見えると、「こいつは何を考えているか分からない」、ひいては「信用できない」ということになっちゃいます。「染まらない」人間、あるいは「協調性のない」人間と言われるわけです
運営者 そうすると、何となくそいつは派閥に入れないとか、距離を置いていくとか。新人研修の中で、カイシャ天皇制に都合のよい方向に新人のマインドセットを誘導してしまうわけですな。
飯坂 ましてや、外部に対してカイシャを批判するなどという人間は、彼らにとってはカイシャ天皇制の一員として考えられないことなわけです。