組織も社会の構成員のひとつに過ぎない、
大事なのはあくまで個人
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 それで新日本人はメンタリティーとして、自主自立、自由、自己責任、プライドを備えています。社会の中で生きている自分を意識しますから、自分が属している組織自体も社会の構成員のひとつに過ぎないのだという関係性が自然に理解できるでしょう。そうすると、組織を絶対視することなく相対的に考えることができるはずです。
飯坂 普通、カイシャは法人と呼ばれますが、それは社会の中で擬似的な人格を持って活動するプレーヤーとして存在するわけだから、肝心なのは社会の中でどのようにプレーしていくかということであって、組織自体が絶対化するということはナンセンスなわけです。
運営者 ところが日本人のサラリーマンのほとんどは、そんなことは考えず組織を絶対視しているという現実があったりします。
飯坂 でも、合理的に考えると、そういうことになるはずなんですけど。
運営者 合理性を持ち合わせないから、それに気がつかずにすむわけです。
運営者 個人が自立できるかどうかというのは、いま最も大切なことで、現状どうなっているかというと、国民はだれかが改革をしてくれることを望んでいるという事実があります。少なくとも、「あなたたち自身が改革を行うんですよ」という呼びかけは限定的なものにとどまっています。
飯坂 雨が降らなくて水が足りなくなったら、灌漑システムを作り直すよりも、雨乞いのお祈りをするんですね。争い事はいやだし、自分が痛みをかぶりたくもないですからね。
運営者 痛みに関していうと、7月初旬時点のサンデープロジェクトの500人に対するインタビュー調査では、ほとんどの人が改革を支持するという姿勢を見せていて、かつ、「痛みが自分にかかってきても仕方がない」と考えている人間が全体の64%を占めていました。
日本テレビがやった女性100人と小泉首相のタウンミーティングでは、「痛みをかぶっても仕方がない」と考えている女性は43%にすぎなくて、いやだと言っている人間が54%でした。
北海道の土建業者の社長でも、東大阪の中小企業主でも、「改革はやらなければならない」ということは是認しているんです。
だけど「改革が進んだり、景気が悪くなっていくと仕事がなくなるんですよ、それは困ると」訴えられたときに小泉さんがなんと言うかというと、「燕三条を見てください。あそこは円高のたびにもうダメだもうダメだ」と言われながら、自分たちで新しい商売を見つけてきて、業種転換してしぶとく生き残っているわけです。そういうことが、東大阪の鋳物工場でもできるはずですよ」と言うわけです。「そういうものを見つける努力をしていただきたい」と。
そうなんですよ、三条市というのは鋳物工業の町なんです。だけど、取材に行ってみると工具に進出したり、セブンイレブンのおでんの入れ物を作ったり、カーブミラーを作ったりして、みんないろいろな工夫で生き残っているわけです。
つまり、「痛み痛み」という言い方しかしていないけれど、本当に小泉首相たち改革派が望んでいることは、「みんなが社会にぶら下がっている状態」から、「各人が自立してやっていってほしいもんだ」ということを、無自覚ながら要求しているというところがあるんですね。
自分が自立して、自由にものを考えて、やったことには自己責任を取るという体制を作ったときに初めて、自分自身が新しい価値をつくれるはずなんです。「今やってる仕事が今後もずっと続くんだ」ということを当然だと思わずに、それプラス「もっと価値のあることをやろう」とか、もっと向上していくことをみんなが考えたときに、世の中はやっと前に進み始めるんだよ、ということだと思うんです。