自分を殺して得た魂の平安はほんとうの幸せか
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 僕は別に、頭のいい人間じゃないんだけれど、「どうして学校の時はあれだけ頭がよくてブリリアントだった人たちが、社会の波に揉まれているうちに、死んだ魚の目になってきて、やっていることもチョボチョボになってしまい、発想も輝きを失ってしまうのか」という疑問を常々持っていったのですが、それは結局ここで言うところの旧日本人の枠の中に自分を押し込んで、自分自身を非常に狭く規定してしまっていて、それで魂の平安を得ることはできるのですが、でも自分を殺してしまっているということではないかと思うんです。
飯坂 その通りですね。
運営者 ばかばかしいことじゃないですか。ところが彼らはそれで幸せだと思っているわけです。
飯坂 それしかないと思っているんでしょうね。旧日本人でありつづけようとすることが、今の日本の不幸の根源であることにも気づかずに。
運営者 なぜ、新日本人への道を発見することが出来ないんでしょうかね。
この間お話した仏教の話に近いかもしれませんが、結局新日本人への道というのは、自分の中にあるんですよ。「自由な自分」というのは。
ところが、神に依存したい人は、自分たちが自ら神を作り、その自分が作った神にがんじがらめになっているわけです。
飯坂 とりあえず神だけ作って、それ以上ものを考えるのを止めてしまったわけですね。
運営者 神を作るところまでで思考を停止すると。そうして、「その世界が絶対唯一の正しい世界である」と信じ込むわけですね。
一言で言うとね、新日本人の側の精神や価値観を規定しているものは、「自分で自立している」ということが総てなんです。そうして、旧日本人の側は、「他者に依存している」ということが総てなんです。
飯坂 自立というと、すぐ経済的自立を発想しますが、ここで言っているのは精神的な自立なんですよね。
運営者 経済の自立なんて、あんまり意味がないんじゃないかと思うんですよね。路上生活者の方が経済的には自立者かもしれませんね(笑)。
飯坂 今ぶち当たっている壁というのは、旧来型の社会構造の中で、神を失ったまま50年間走り続けてきて、天皇が人間宣言してからそれぞれの会社の中に散っていった天皇の神通力も消えてしまったところで、さあどうしましょうというところなんでしょう。別の新しい神をまた見つけてくるのか、それとも穴の中から這い出してきて自立しましょうかというところだと思うんです。