神からの自立は絶対的に必要な要件
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 政策提言を作るときに、僕にはフリーハンドが与えられたわけですが、この方向に反する考え方の人のところにはインタビューに行こうとは思わなかったですね。
結局、そうした厳しい現実に直面するのが「いやだいやだ」と言っている子供を、どうやって歯医者に連れていくかという話になっているんだと思いますよ。
飯坂 人の意識を変えなくても、新しい神さえ出てくれば、それにつき従うという人は少なくないでしょうね。
運営者 そうすると、自由とか平等とか博愛というのも、実は新しい神だったのでしょうか。
飯坂 それは違うでしょう。ある一部の旧日本的サヨクの人々にとってはそうかもしれませんが。でもそれを神とした時点で、自由でも平等でもなくなってしまいますよ。
運営者 そうですよね、やっぱり自由とか自立という考え方は新しい神にはなり得ないでしょう。
ここで求められているのは、「各人が自由に発想し、それに基づいて行動することを市場を通して調整するということが、効率を最大化するであろう」ということなんですよ。
だから、各人が神から離れて自立するということは、絶対的に必要な要件になるわけです。これがキーファクターなんです。神への依存から離れられない文化は、新しい価値が創出できないから、貧困への道をたどり、袋小路に入ってしまって破れかぶれでテロによる打開を図ろうとしたりするわけです(怒)。
だから僕は、「構造改革とは意識改革である」と考えたわけです。
飯坂 みんなが変わりたくないというのは、構造を変えたくないというところもあるでしょうし、意識を変えたくないということもあるでしょう。
明治維新というのは、すごいことだったんですよ。それまでの封建制を改革して近代社会に移行するために、当時よりももっと古い天皇制を持ってきて中核に据えてしまったわけですから。
運営者 それが、絶対的な権威を持ってきて、その実権は剥奪しておいて、中間者が実権を握るという、今日に続くカイシャ天皇制パターンのスタート地点だったわけです。もっとも藤原氏以来ずっとやってきたことなので、日本人の得意技ではあったと思うんですけど。
飯坂 それに近いことを、今やればよいのでは。
運営者 それで考えられるのが、経済財政諮問会議なんですけどね、
これを作った経緯というのが、96年の秋に通産省は橋本龍太郎をそそのかして、当時言われていた6つの改革のうちの行政改革について、中央省庁再編を打ち出し、仇敵であった大蔵省の力を削いでしまおうという作戦に出たわけです。
金融行政の分離は当然として、できれば国税庁の分離も実現したかった。しかし最大の眼目は、大蔵省のパワーの根源である予算編成権を切り離してしまうことでした。そのために、内閣に経済財政諮問会議を置き、「予算の基本方針」をここで策定するという文言を法案に盛り込むことに成功したわけです。