みんな楽をしたいだけで
汗水たらして考えていない
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 しかし、「予算の基本方針」というものが一体何を意味するのかということは不明朗です。言葉通りで受け取れば、「予算の決定権は内閣に移った」と受け取るのが自然だと思うのですが、財務省としては絶対にそんなことは認めません。「今まで通り、予算の策定権は財務省にある」と主張し、この点に関して、前の内閣の時は財政首脳会議という屋上屋の組織まで作って抵抗を試みていました。
これまでは、予算提出権は内閣にあるといっても、実際の予算策定では自民党の部会、政調会、総務会と各省庁、大蔵省が予算のすりあわせをやって決めていたわけですが、そうしたルートを付け替えて内閣主導の予算をつくることで、より機動的で戦略的な予算配分を実現するとともに、既得権をもつ族議員や官庁のバイアスを排除するという仕組みです。もし総理大臣がまともな人であれば、こちらの方がいいに決まってますよね。
役人が自分たちの既得権に固執せず公正中立な執行を行い、かつ議会がきちんと機能していればそんなまわりくどいことをする必要はないと思うんです。しかし、システムをうまく作ったつもりでいても、運用する人間が私益を優先しようとすれば、システムの本来の役割を飛び越えることは簡単なんです。だから、そうした私益の跋扈を食い止めようとするために、経済財政諮問会議に私は期待しています。
飯坂 でも本来は、国家予算の日本経済全体に占める役割を縮小するというのが先決であると思うんですけどね。
運営者 賛成賛成。だけど、それは今の話の中には全然出てこないことですよね。予算の削減は難しいというのが前提になっています。夜警国家vs福祉国家の発想で行くと、野党は、とにかく福祉を手厚くしろ、あれをやれこれをやれと要求ばかりするわけですし、国の役割を縮小しようなんていう考え方自体がそもそもないですよ。消費税を下げろと言っている政党もいるし。
飯坂 みんな楽をしたいだけで、汗水たらして働いたり、アイデアを考えだして、それで食べていこうということは考えていないんだよね。
それから、漁業権だとか水利権だとかの、太古の昔から血を流して守られている既得権を公正に再定義・再配分しないことには、日本の宗教改革もルネサンスもありえないでしょうね。
運営者 会社の話に話を戻すとね、どの会社でも「困ったな」とは言ってますよ。だけど、では一体どうすればいいのかということが見えている人間はいないんです。わからないんですよホントに。
最初にその会社の商売を始めた人間というのは、マーケットを見て自分が得意な商品を供給し、それを人が買ってくれて儲かった金を再投資するというプロセスがひと通り見えていたわけです。つまり自分がやっている事業の全体を体感していたわけです。この感覚が、後からその組織に入ってきた人間には身体でわからないんですよ。ある種の想像力と経営センスがなければね。あるいはプロジェクトの責任者となって自分が責任を持って何かをひと通りやってみるっていう経験をするまでは、そうした感覚というのはなかなか理解しがたいものです。
飯坂 だけどどんな会社にも、光るリソースはあるはずですからね。
運営者 大丈夫ですよ、光るリソースはちゃんと潰すシステムを作っちゃうわけですから。まともな人材は、会社の外に出ざるを得ないような仕組みにきちんとなってますからね。