「人材は評価してはならない」
というナンセンス
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 だから規律だけではダメで、もうひとつのキーワードはネットワーク能力と経営センスなんです。
ネットワーク能力がなぜ必要かというと、人間がおのおの自立してしまったら、ばらばらになってしまうわけですから。それを、他人を他人として認めながら、相手のいいところをうまく引き出してパートナーシップを組んで協働して仕事をしていくという方法知らなければ生きていくことができないわけですから、自立した人間の社会においてはネットワーク能力はどうしても必要なものなんです。
飯坂 それと、評価基準および評価システムですね。
運営者 日本型組織の場合のポイントは、「人材は評価してはならない」ということなんです。どうしてかというとみんな平等で一緒でなければならないからですね。「他人を評価する」ということは、「批判すること」につながっていきますから。それは極めて慎重に避けられるべきことであると考えられているのです。
それから、評価をするためにはジョブ・ディクリプションを書かなければならないでしょう。職務範囲を決めるためには、事業全体の範囲が漏れなく見えていなければなりませんね。「この仕事が抜けている」という話になったら、「じゃ、だれかにやらせろ」ということになるわけです。そうやって決められた、個人個人の仕事の範囲についてあらかじめ定めた目標を、ちゃんと達成することができるかどうかで、ドラッカーが言った目標管理ができるようになるわけです。
で、日本企業は到底ここから遠いところにあるわけでして、ジョブ・ディクリプションを明らかにしないということは、自分たちの仕事の範囲や、自分たちがやらなければならない仕事は何なのか、われわれはそもそもカイシャで何をやっているのかということに対する感覚的な把握ができていないということになってしまうわけです。
だから評価もできない。だって、カイシャ天皇制の下では評価する必要がないんだから。
役所でもね、公務員制度改革というのをやっていて、やっと能力評価を導入しようという話が出てきています。役所の場合は、体育会系の組織ですから、1年入省が違うとこの序列は決定的であって、決して飛び越えることができないわけです。そこのところで飛び級をさせようというのだから、彼らにとっては革命的なことなんですね。
だけど問題は、「じゃあ一体どういう人間に対して高い評価を与えるのか」という問題を考えるためには、「役所の目的はいったい何なのか」ということを明確にしなければならないはずなんです。ところが、そこについては、現在明らかになっている方針では全く触れられていなくて、まず能力評価の方向ありきなんです。ここのところに、本質的な矛盾が感じられると思いますね。
僕だったら、何もやってくれない役人に一番高い評価を与えたいと思いますね。首にできないんだったら、変に働いてもらわない方がよっぽどありがたいと思いますよ。どうせ働いたって税金の無駄遣いしか考えつかないんだから。
飯坂 法案を作ったり、予算の使い方を決めたり、行政指導したり、ということですよね。
運営者 あと、いらない公益法人を作ったり。いらない資格や報奨制度を作ったり。全部いりませんよ、はっきり言って。中央省庁なんかいらないですよ。どこに必要性があるんだ、いったい。