小学校を地域コミュニティーの中核に
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 それから今回の歴史教科書の問題でアジア諸国からたたかれているのをいい契機にして、ぜひとも教科書の検定制度は廃止していただきたいもんですね。国の都合のいいことを国民に押しつけようとする姿勢が検定制度の大本にあるんだと思います。
飯坂 アジア諸国からたたかれているというより、特定の連中が特定の外国と結託して謀略をやっているって感じですね。
義務教育は、本来は富国強兵政策のために、必要な標準的知識を国が一律に強制的に教えようとしたところから始まっているわけでしょう。明治時代はまだ統一国家という概念も完全に浸透してはいなかっただろうし。軍隊や官庁で言葉が通じなかったらどうにもなりません。
運営者 学校制度を作った森有礼がそれを意識していたかどうかは私は知りませんが、少なくとも欧米に追いつくためにある特定の水準の教科書を国定にしたということなんだと思いますね。教科書を国が検定してるから文句を言われるわけであって、民間企業が勝手に教科書を作っているんだったら、国がどうこうする筋合いじゃないんだから。国立大学も独立行政法人にするし、文部行政はどんどん廃止していけばいい。
飯坂 教科書検定にしても学習指導要領にしても、それ自体は悪いことじゃないでしょうから、それに強制力を持たせるという部分が悪いという考え方もありますよね。
運営者 なるほど。
飯坂 もうひとつは、国語算数理科社会という19世紀の教科割がいまだに変わっていないということがあるのでは。生活科に変えたとしても、従来の教科を単純に合体しただけで、枠組み自体は全然変わっていないと思いますよ。教科の枠組みを変えると先生が対応するのが大変だっていうだけだと思いますね。
いつのころからか、学校は生徒のためのものでも国家のためのものでもなくなって、教師たちの「商売」のタネにすぎなくなってしまったと思います。先生が高いところに立って偉そうに権威を守っている必要は、もはや全くありません。知識の上では読み書きソロバン以上のことは学校教育ではフォローできません。知識のコンテンツの目次を教えるくらいが精一杯です。本当はどう勉強するかの方法論を訓練するべきだと思います。それを今の先生方にできるかどうかは怪しいですが。
少年非行の凶悪化も90%は学校の責任でしょう。親の教育が悪いと責任転嫁しているようですが、そうしたばらつきのある集団を一定の水準の社会人に育成するのが義務教育の社会に対する責任だと思います。それなのに、教師の手に余る生徒は徹底的に疎外することによって従順な生徒の統制を行っています。疎外された生徒はアウトローの集団を形成して、ヤクザの下部組織になったりします。
教育の目的は学校を平穏に運営することではありません。教師の安楽な出世のために疎外される生徒はたまったものではありません。そうした生徒にこそ教育が重要なのです。
それとは別に能力のある生徒にはそれに見合った教育をするべきです。英才教育や受験対策なんかを望む親は、それこそ自己責任でいくらでもやるがいい。普通の学校なんか行かなくてもいい。
社会の基準において教育を行うべきであるのに、教師の都合において教育を行っている。明らかに本末転倒、ナンセンスです。
国家統一も富国強兵も十二分に達成できた今、寺子屋の方が時代にあっているかもしれません。
運営者 それと、小学校というのは地域のコミュニティー復活のための核になるという考え方があるんです。
少子化が進んでいるので、どこの小学校も空き教室がどんどん増えています。そうした教室の利用法として、一般的なのが老人のデイケアセンターにするということで、そのような形で子供と老人の触れ合いの場となっています。また親同士や地域住民の集会場としても利用が考えられています。そのようなコミュニティーが復活すれば、「社会は参加者みんなで支え合うものなんだよ」という意識ができてきて、旧来の日本型組織とは違う、新日本人型の意識への移行のインキュベーターともなるのではないかという期待があるんです。
それが、先だっての池田小学校での児童殺傷事件で大幅に後退してしまいました。あれは社会的にみても大変なマイナスを引き起こしてしまった重大な犯罪だと思いますね。ああいう事件があったからといって、学校開放の動きを後戻りさせるということは絶対にあってはならないことだと思います。
飯坂 そのとおりですね。
運営者 そうやってコミュニティができあがって、「会社で働くこと以外にも、地域の人々に尽くすということも意味があることなんだ」という感覚が強まってくれば、それもまた新日本人への移行のきっかけになるでしよう。
そういう期待を持たれている学校の開放にも、ああした問題が起こるということは何を示しているのかというと、「みんなで社会を支える」ということは非常に大きな努力を必要とし、またリスクを伴うものであるということなのだと思うんです。