改革で株価が下がるのは理の当然
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 「小泉改革プランが大きく打ち出されても、株価が下がり続けているじゃないか」という指摘があって、野党からの攻撃のネタにされています。これをどう考えるべきかですが、それに対して町村信孝は、「それは市場が小泉改革が失敗するのではないかということ織り込んで下げているのではないか」という答え方をしていました。
でも僕は、違うと思うんです。
銀行の不良債権の金額が、結局は一体いくらのか、わからないと言っているのと同じように、株式市場に上場している企業の中でも3分の1くらいの会社は、市場から退出していただかなければ終わってしまうくらいダメな会社があると思うんです。そういう会社は資本市場におけるいまだ顕在化していない不良債権と言い換えていいのではないかと思います。
会社というのは市場で集める資本を元手にして、人材や情報という社会的な資源を再構成して製品を生み出し、利潤を生み出し続けるシステムと捉えることができると思うのですか、そういった資本主義社会における企業に期待されるを機能を十分果たし切れなくなっている企業が、上場企業全体のうちの3分の1くらいあるのではないか。
だってROEをみたらわかりますけど、4割を超えているのは1社だけで、これはパチスロメーカーなんです。あとは2割台の会社が3社。1割台も60社しかなくて、残りの2000社は全部1ケタ台。あるいは赤字ということですよ(株主資本200億円以上の上場企業)。上場企業をトータルすると、なんとたったの2%ですよ。アメリカだと22%、ドイツですら17%ですからね。本来株式会社というのはそういうもんでしょう。ROEが株価に反映するのなら、一体誰がこんな産業基盤の国の企業の株を買いますかね。
ここのところ商社や家電メーカー、証券会社なんかが会社分割を使って事業再編をやってるじゃないですか。彼らにしてみれば最後の挑戦ですよ。あれを資本市場の目から見て、どの程度評価できるか、納得できるROEが期待できると考えられるかを、何人かの証券アナリストにインタビューして回ると面白いと思いますよ。もしかなり思い切ったことをやっている企業でも、市場の期待に応えられないということになると、日本経済の没落は決定的です。まあ、ここらで話をはっきりさせるのもいいのでは。
飯坂 だって利益を上げることは最初から目標にしていないんですから。経営者の支配を正当化させるための利益は追求するけど、それが帳簿上のみの利益で、簿外損失があってもぜんぜん平気。
運営者 御意。そういう会社の株主というのは、何を考えているのか分かりませんよね。いい面の皮ですよ。
飯坂 株式公開してなければ問題ないんですけどね。経費の分を稼ぎだして、自分と従業員だけが食べることができればそれでいいというあり方だって否定はできないと思いますよ。
運営者 ところがね、いまや出光興産ですら上場しようという時代になっちゃったんですよ。残ってるのは、サントリーと竹中工務店くらいですよ。
ですから、改革プランを打ち出しても株価が低いということは、本来の観点からいけば資本市場の夾雑物でしかないような会社は、退場することを余儀なくされるということを先読みして株価が下がっているのではないかというふうに私は解釈するわけです。株価が下がれば、資産のある会社は買収されるので、資本の効率化が進みますしね、健全なことですよ。
面白いのは、政治家はこういう捉え方をしないことですね。ビジネスマンであれば、改革プランを見れば「こういう改革が実行されるのであれば当然潰れる会社が出てくるよね」というふうに受け取るはずですよ。
思い出しますよ、橋本政権以前は、株が上がろうが下がろうが、政治家は泰然としていましたよ。橋本政権の間に、「政治家は株価市場に対する責任を持っている」、あるいは「株価は政権に対する市場の評価を表している」という通念があっという間にできあがってしまいました。
それはまちがった考え方ではないと思うんですが、市場対策という名の下に、年金基金や郵便貯金からお金を出したり、株価を支えるという大義名分のもとに補正予算が乱発されたりするようになってしまいました。正しい認識の獲得が、筋を曲げる理由に使われてしまうというのが日本的ですよね。
その結果、財政赤字が膨らみ、国民が収奪されている年金という資本が国家の手によって3兆円も毀損するというばかばかしいことになってしまったのです。バブル以後120兆円も景気対策を行って、それで株価がバブル以前の水準まで下がっているんですから、国民の財産はレバレッジがかかって減ってしまっているわけですよ。
そりゃそうですよ、収益力が悪化している経営実態がだめな企業に、幾ら資本を供給しても無駄玉を撃っているだけなんですから。