日本の銀行は全く無能である
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 でもそういうコストをいやいやながらでも払った方が、必ずや、仲間主義でなあなあでやっていた時代よりも利潤を生めるようになるはずなんです。
なぜならば、そのように発想を変えることによって、変化するマーケットに対応できるアイディアが出てくるし、それに従って常に自分のビジネスを再構築し続けることができる、それによって資源配分も変える、リストラクチャリングを行うことを当然のことと考え、また人材も流動化する、それをまったくだれも不思議なこととは思わないという文化ができあがるはずなんです。
これがまさに、我々が想定している新日本人ということなんですよ。
でもそのように変化するためには、はっきり申し上げて、いくつかの古くさい既存の会社、あえて社名は言いませんが、そのままの体制で移行できるとはとても思えないような会社がいっぱいありますよね。もし企業の中にいて、その会社を変えようと思うんだったら、闘わざるをえないということになるわけです。
飯坂 だからもう、企業にとっての革命が起こらないと変わりようがないわけでしょう。すべての旧日本型企業というのは、北朝鮮と同じような危機に陥っているのだから、クーデターを起こすしかないじゃない。
運営者 金正日が死ぬのを待っていてもだめなんですよね、その次の奴が必ず出てくるから。
飯坂 メディアもそういう意味では、古くさい旧日本型組織ですよね。やたらプライドが高いし。
運営者 メディアというものどのように受け取るべきかというと、非常に簡単で、ダメな産業の第一というのは規制業種なんですよ。規制業種は土台から腐っているわけです。したがって、再販制度にぶら下がる新聞出版業と、認可制度に支えられた放送業という日本のマスコミは、企業としてはほぼ全部腐っていると考えて間違いはありません。断言できます。
そういう意味では金融業と同じですよ。
飯坂 銀行は、一回外に出ていって失敗しているんだから学習してもいいはずなのに、さっぱり学習していないから、もっとひどいかもね。
運営者 あれはやっぱり、大蔵省の金融行政の責任ですよね。
銀行の抱えている不良債権の処理の問題が、国際的に問題になって、「日本の銀行は全く無能である」ということは世界の常識になってしまったわけですが、日本の銀行員だけは自らの無能をほとんど意識することなく、全く棚に上げて不良債権処理について論じています。「査察したい」というIMFの感覚の方が正しいと思いますよ。それが常識ってもんでしょう。
銀行員がどう考えているかというと、中小の商工業者に対する融資というのは、自分たち以外が行うことはできないのだから、自分たちには金融業者としての正当性がある、税金投入も当然だというロジックなんですね。
飯坂 商工ローンもありますよ。
運営者 だけどあれ、500万円くらいまででしょう。全体に占めるポーションは低いですよね。それに多分、銀行よりも審査体制がしっかりしているし……。
だから銀行にとってみれば、そうした中小商工業者に対する融資は自分たちの役割だという認識がある。
飯坂 バブル以前なら、都銀、相互銀行、地銀、信金、信用組合とすみ分けしていましたしね。
運営者 したがって、「中小企業に対する融資のことを考えたら、不良債権処理で自分たちが血を流すということには問題があるのではないか」という考え方です。