旧日本人の眼中には
「上司か、部下か、敵」しかいない
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 それと、外部の人と新しいパートナーシップを組んでいくという概念自体が旧日本人には欠けていますね。
相手は、「上司か、部下か、敵」の3種類しかいないんですよ。何かに書いてあったけど、田中真紀子の場合は、「家族か、使用人か、敵かの3種類しかいないという認識であると。
運営者 「パートナーシップとは何か」と聞かれたら、どのように説明しますか。
飯坂 お互いが相手を対等の関係と認め合うためには、お互いの技量や資質を認めて、その上で職務管掌を定め、能力を補い合うわけでして、お互いがお互いのことをわかりあったことを確認する必要があります。
でも旧日本人にはそんなことできないですよね。「お前は俺の子分になるのか。それとも俺はお前に従わなければならないのか。敵対するのか」。こんなことで終わっているのでは、パートナーシップなんて組めっこないですよ。
運営者 子分になるということは、「私はあなたにぶら下がらせていただきますのであしからず」という意味ですよ。親分になるということは、「お前を養ってやる」と。インボルブするかされるかのどちらかしかないわけですね。
変に良く覚えているのですが、8年前にザルツブルグで「サウンド・オヴ・ミュージック・ツアー」というバスツアーに参加したんですよ。そこでUCLAの学生がいて、「センパイってどういう意味だ?」と聞くんですよ。それで、「センパイとはシニアーのことだ」と答えたのですが、相手は腑に落ちない顔をしてたんです。つまり彼は「センパイには、単純に年長である」ことの他に、「後輩に対する理不尽な支配についての正当性を認められた存在」という意味があるということを薄々知ってたんですね。だけど僕としては、日本で「年長者である」ということは、即ちそうした意味を持っているんだという認識に縛られているから、その説明で十分だと思っていたわけ。
「センパイ」が英語でそのまま通じるようになると、非常に恐ろしいことになると思いますよ(笑)。
飯坂 センパイという字は、ムリ扁にゲンコツと書くってやつですね(笑)。
年長だというだけで絶対的存在として振舞うわけです。そこにはチェック機構もないし良心の呵責も感じない。そのような人間関係は欧米人から見たら野蛮に見えるでしょうね。
運営者 それと、パートナーを組むためには、「自分に欠けていることは何なのか」を自己分析して自覚したうえで、それを持っている相手と組まなければ意味がありませんよね。だけど、そこのところの見極めがきちんとできるようならば、もう既に新日本人になっていると思うんですよ。
飯坂 その通りですよ。
運営者 逆に返すと、旧日本人というのは、自分には何ができて何ができないのか、自分に欠けているものは何か、長所はどこで短所は何かということについては……。
飯坂 わからないし、人に指摘されても認めようとしない(笑)。
運営者 なぜならば、旧日本的組織の構成員は、すべての面で平等でなければならないからです。能力的にも、機会的にも、結果的にも(笑)。
飯坂 序列を定めるのは、身分とか、年齢とかの、本人の努力ではどうしようも乗り越えられないものでなければならないからね。
運営者 年功序列というのは、そうした形して乗り越えることができないものが唯一の差別の根拠となっているわけです。しかし面白すぎるな。
飯坂 新日本人よりも、旧日