右でも左でも、旧日本人とは手が組めない
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 新日本人よりも、旧日本人の分析の方がはるかに笑えますよ。
運営者 それで思い出したけれど、10年ほど前に早稲田大学の総務課に総長の取材の申し込みで行ったときに、おばちゃんの事務職員がヒステリーを起こしているのを見たことがあるんです。あまりにも典型的なヒステリーだったので、鮮やかに覚えていますよ。
そのおばちゃんは、当然早稲田の卒業生なわけですけど、そういう純血主義で、当然左がかった状況の中で、権利意識だけが強くて仕事ができない、下手をしたらハイミス。自分の領分を侵されるということに耐えられなくて、そういうことが起こったので子供染みた拒否反応を示している、そういうヒステリーだったんです。最初はそういう自分の不満を口にし、その材料を使いきったところで、相手の個人攻撃に入っていくという。何となく状況がおわかりになると思うんですが、当たり散らされている相手というのは、これがまたさえない中年のおっさんで、いかにも「またか」といううざった表情で一言も返さない。
なんか、こんなヒステリーは、小学校の教室で以来見たことがないと思いましたよ。
それを見ていて、封建的な組織観だけでなく、左がかったイデオロギーの組織観の人間が相手でも、全く同様にパートナシップを組むというのはできないことなんだなと覚ったんです。
結局ね、左にしても右にしても、そうした古い組織秩序というのは、宗旨は逆だと思いますが、幾分かは「究極の絶対者に対する依存関係」を内包しているということなんです。自立からはほど遠いものだったわけですよ。
飯坂 もともと左っていうのは、どうやってもひっくり返せないような帝政のような社会秩序をひっくり返すために、無理難題の理屈をでっちあげたわけであって、マルクス・エンゲルス・レーニンの偉いところは、初めてそんな大掛かりな無理難題をでっちあげたというところにあるわけですよ。
運営者 すごい褒め方ですね。
飯坂 彼らの思想を実現した壮大な社会実験は大失敗に終わりました。しかし、正義のためには武力行使も正当化できるという無茶をやって社会を変えた事実は歴史に残ります。
運営者 うーん。
屁理屈でも社会は変えられるということですね。いいことですよ。
パートナーシップを組むためには、自分自身が理解でき、相手が理解できなければならないわけであって、これはイギリスに遊びに行って、帰ってきたときにお話ししたことですけれど、アジア的な価値観は他者との間を「支配=従属関係」によってしか規定することができない。それに対してアングロサクソンはパートナーシップを自由に組み替えることができる。
それはいったいなぜなのかという疑問をずっと持っていたのですが、丸3年たってやっと理由がわかったなという感じがするんです。
ただしその解決は、各人が自分の意識を変えるという形で行う以外にはないのですが。