市民革命はあらゆる宗教からの自立だった
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 いずれにせよ、自立できない人間には新たな神を与えてやる必要があるんですよ。明治維新では、人工的な日本国の概念とか、天皇制の概念を新たな神として持ってきて新たな日本を打ち立てたわけです。
しかしそうした伝統的、世俗的な神というのは、すでに日本では消費しきってしまったんです。
運営者 消費に関しては貪欲な国民だと思っていましたが、神まで使いきってしまいましたか。
飯坂 これ以上、人工的なものというのはさすがに作ることができないので、また伝統的な価値に戻るか、自然崇拝的なものに戻るか。
運営者 あるいは、自らの内なるものを神とする市民社会的な発想を導入するか。これはつまり、内なる市民革命ということです。
飯坂 それはキリスト教の存在を抜きにして成り立ちうるものなのかね。
運営者 大丈夫だと思いますね。なぜならば、彼らが経てきた精神的な変革というのは、自立するということに関しては、ありとあらゆる宗教から自立するということだったと思うんです。
教義は関係ないんですよ、キリスト教でもイスラム教でもヒンズー教でも。その社会の上層の2割の人々というのは、宗教を否定することはありませんし、信者であったりしますけど、しかし依存はしていないわけです。精神的にはその信じている神から自立しているわけです。うまい具合いに折り合いをつけている。
飯坂 そういったリーダー層のたちの神の利用法というのは、自立しきっていない人たちとのコミュニケートの媒介として神を使うわけですね。
自立していない人から見れば、自立している人も一緒に教会にきているわけですから、仲間だと思うじゃないですか。そういう紐帯なしに、市民社会は成り立ちうるのかな。
運営者 そうだと思いますよ。教会のようなものを使って社会の中の6割方の人間をコントロールすることができるわけです。宗教には立派な社会的機能があるんです。
では、日本で宗教や、過去のイデオロギーに頼らずに、市民社会を成立させるために必要な紐帯とは何であるのか。2割の指導層と、6割の人たちをつなぐための。
それはアメリカでやってるじゃないですか。国旗国歌への敬意というのも一つの手ですよ。
飯坂 それはアメリカですからね。「アメリカは紳士たれ、アメリカは最強たれ」と言い続けざるをえない。
運営者 僕は今まで、あれをものすごく負のイメージでとらえていたんです。国旗を振り国家を歌い続けなければ、彼らは社会を維持することができないのではないのだろうかと。
でもそんな消極的な意味は、アメリカの国旗国歌にはないのではないのかというふうに最近思うようになりました。むしろ積極的な意味というのは、2割と6割の人をつなぐための機能を果たしているんですよ。
国民が バラけないようにするための"たが"ではないんですよ。アメリカでは、各人が自立するという姿勢については、個人に必要な姿勢として基本的に6割の人間にも要求していると思います。しかし、少なくとも国旗国歌に対してだけはロイヤリティーを持たなければならないという巧妙なシステムなんです。これはすごい発明ですよ。
つまり、新日本型組織に移行するためには、6割の人間にもある程度の自立を促さなければならないわけです。だけれども、国家というシステムに対してだけは忠誠心を持ち続けてもらわなければ、湾岸戦争のために50万人の兵隊を動員することはできません。それは国家のシステムとして必要な部分なんです。そうした仕組みをうまくつくりこんでおかなければ、単純に「新日本人だ」と言ってみんなが自由と自立だけを求めてしまったら、国も会社も崩壊しちゃうわけです。