「他人がいいと言っているものはいい」
と思い込める理由
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 制度の補完性があるから、変革する時にはどうしてもカタストロフィックな変化にならざるをえないですよ。
とはいえ、「変化はいやだ、このままがいい」という態度もここまで来たら通用しないでしょう。
飯坂 このまま墜落する飛行機にずっと乗り続けて、地上にぶつかるところまで行くか、あるいは痛いけれども途中で飛び降りるかどうかという選択でしょう。
運営者 もう少し前に動く気になっていれば、パラシュートを付けて飛び降りることができたんですけどね。今はもう、パラシュートなしという状況でしょう。
パラシュートなしで飛び降りるためには、自立という名前の翼が必要なわけです。
ただし、すべての人間が自立できるわけではないというところがまた大切なポイントとなるでしょう。
飯坂 自立しないことを選択した人たちは、何を求めるでしょうか。
運営者 彼らは、自分自身でものを考えたり判断することができないので、頼ることができるものさえあれば、何でもいいんです。
飯坂 自分の生き方を、人に与えられたものでしか形づくることができませんからね。
運営者 そうですね。だけど、何かしらないけれど、納得する技術だけは持っているので、どんなものが与えられても満足することはできるんですよ。
飯坂 それは利点かもしれないね。
運営者 利点ですよね。僕にはできないことですから(笑)。
飯坂 だいたいね、メディアを通じて与えられている選択以外のことができる人がどれだけいますか。メディアに指導された商品によってのみ、多くの人はアイデンティティを獲得できる。個性は、趣味や好みといったメディアによって与えられたもので作られているというのが現状です。
運営者 そうですよね、飯坂さんもそうだと思うけど、僕もそこからハズレて生きてるんですけど。
皆さん、便宜性とか実質といったところから価値を判断しようとしませんね。「他人がいいと言っているものはいいんだ」と思い込むというのは、ピラミッド社会の中で生きていて、自分の隣の人間の意見に大きく左右されるという態度と共通していると思います。そういう意識構造だから、メディアによって与えられる影響が大きいのでしょう。
つまり洗脳されやすいということだと思います。さらに、そういう洗脳されやすさと、経済センスのなさの間には密接な関係があると思います。自分にとって、便益のないものはいらないわけですよ。でもなぜみんな馬鹿高いブランド物を、高い金を出して買うかというと、それが心の拠り所だからなんですよね。
飯坂 携帯電話が急速に普及したのも、高校生が100ドルも200ドルも毎月払うからだという話もありますし。
運営者 欧米では普及が止まってしまっていますよね。だけどアジアでは分からないですよ。