自分たちの神は
自分たちだけのものであってほしい心理
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 それで、ここが欧米と日本との根本的な差だと思うのですが、どちらの国も上の2割の人間は神を信じていないというのは同じだと思うんです。そして6割の人間は神に依存している。ただし、彼らはキリスト教徒でありながら、精神的にはかなり宗教への依存から自立しているわけです。しかし国旗とか社会に対しては、ケネディが非常に演説に巧く盛り込んだように、国家に対して自分自身がどのように貢献できるかということを個人個人に要請すると。
ASK NOT WHAT YOUR COUNTORY CAN DO FOR YOU.
ASK WHAT YOU CAN DO FOR YOUR COUNTORY.
なぜならば、あなた方は自立した個人個人として、この国家社会の建設に参加しているからだという動機づけが、毎度毎度繰り返してなされているわけです。非常にうまいやり方だと思いますね。
対して本邦では、ほぼ全員が神を信じていないにもかかわらず、カイシャ天皇制の支配下にほぼ全員が入っていて、上の2割の人間すらも何らかの超越的な支配を要請するという構造になっているわけです。
それで、われわれはまず精神的に自立しなければならないと思いまず。さりながら、6割の人間は現在より自立性を高めたとしても、結局はフォロワーにしかなれないのだから、彼らについてはうまくコントロールをしていかなければならない。そういう社会的な原理を打ち立てなければならないと思うんです。それは今まで我々が叩き込まれてきた平等原則には相反するものかもしれませんが、しかしどう考えても社会的に必要な知恵であると私は思うんです。
そしてそうした思想は、輸入した方が早いのではないかと。
なんですかね。「この国のかたちを求める」とか、「我々には独自のものがある」とか、あるいはそのような言い回しが好まれるわけですが、このような観点の自分たちの国の「独自性」というのは一体何なのかというと、「自分たちの神は自分たちだけのものであってほしい」と言っているのに等しいと思うんです。(笑)
飯坂 そうですね、その通りですね。
運営者 もし本当に自立できているのであれば、原理だけは他の国から輸入してもいいのではないでしょうか。
飯坂 それがまさに、明治維新で行われたことですよ。社会を動かすオペレーティング・システムを入れ替えてバージョン・アップしたんです。そうしないと新しいアプリケーション・プログラムは走らないんです。そういう芸当ができる国は世界でも数少ないです。これは誇ってもいいことです。
運営者 彼らは、精神的に自立していたからなんですよ。だからできたんです。
しかし現在の日本人の多数派を占める旧日本人は、自分が寄りかかっていたもの、依存していたものからなかなか離れることができないんです。それは彼らにとってはあまりにも恐ろしいことなんです。
飯坂 旧日本人は、何であっても一人になることが一番怖いんです。