「天上天下唯我独尊」なら
独りになっても怖くない
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 旧日本人は、何であっても独りになることが一番怖いんです。
運営者 そうなんだよな、これがまた。
独りになるのって、恐いですかね。
飯坂 だからみんな怖いんでしょう。自立したら独りなんだけど。
自立というのは、自ら独りになることだからね。
運営者 まったくその通り。
だから独りになるのが怖いという人は、どんなしょうもない隣人でも、どんな嫌な奴とでも、人と一緒にいるということがありがたいわけです。そういう他者依存的な心理傾向があります。
飯坂 だから、「独りで死ぬのは嫌だ」と言って小学校に乱入するような馬鹿が出てくるんですよ。もう、自立するのが怖いというよりも、自立というのが何かということすらもわかってないと思うよ。
本当は、人間はオギャアといって生まれてきた瞬間に自立してるんだと思うけど。
運営者 面白いですよね。釈迦は生まれてすぐに七歩歩いて、「天上天下唯我独尊」と言ったというじゃないですか。
飯坂 まあ、そういう概念を後の世の人が作り出してますよね。
運営者 これは、僕はすごいと思うんですよ。「天上天下唯我独尊」というのは、まさに「私は自立してるんですよ」、と言っているに等しい。ところが、仏教ではどうなっているかというと、自分自身は自立しているものの、その存在をずっと突き詰めていくと、実は、存在の本質はすべての物体とつながっているわけです。ここに置いてあるコップと、僕自身は、まったく一緒なんです。従って「天上天下唯我独尊」なんです。
この真理を、釈迦が生まれてすぐに言ったという話は、非常に良くできている。
飯坂 「これがすべての始まりなんだよ。そして人間は自立しているんだよ」という話で。
運営者 そういう哲学なんですよね。そういう知恵を昔の人は持っていたわけですよ。
飯坂 だけど日本では、念仏仏教だからね。「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華経」と唱えれば浄土に行けるという話だから。そっちの方が幅をきかせているじゃないですか。
運営者 まあ、念仏仏教の開祖である法然を敵視した南都北嶺の仏僧たちが「天上天下唯我独尊」の哲学を持っていたかどうかというと、僕は疑問ですけれど。
飯坂 多分仏教が輸入された時点で、それはなかったと思うけどね。
運営者 そうでしょうね。
だって、自ら宗教を作ることができなかった時点で、もう既に依存が始まっているのではないのかと思うんですけど。
飯坂 それはしょうがないよ。普遍宗教をつくりえたのは、キリストと釈迦とマホメットしかないんだから。むしろ普遍宗教を作り出したことの方が人類の奇跡なのかもしれない。