そこにルネサンスがあるんです
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 僕は、イスラム教のことはよくわからないけど、仏教とキリスト教が言わんとしていることは、根本的には同じように思えるんですけどね。
飯坂 同じでしょうね。だけど、真理を説く宗教と、救いをもたらす宗教という側面がありますから。
運営者 ああ、そういう意味では、浄土宗以降の仏教は救いをもたらす宗教ですよ。これはカソリックとプロテスタント、あるいは小乗仏教と大乗仏教に対応することみたいですね。
飯坂 宗教革命だったということですね。
それが文芸復興に結びつかなかったのが悲劇だ。つまり鎌倉仏教があって、室町時代の商業経済の発達があって、それが文芸復興に結びつけばよかったのに、徳川時代の奇形的な文化の爛熟にのみ行ってしまって、精神の解放はなかったわけです。安土桃山はルネサンスの先駆けとはなったものの、不幸にしてその時代は長く続かなかった。徳川時代というのは、自分自身の安定のみを願う体制の時代だったと言えますよね。
運営者 それはやっぱり家康だって、自分が覇権を握ったらスタティックな体制を作ろうとしますよね。ヨーロッパは常に群雄割拠で緊張状態が保たれましたから。
重要なのは精神の自立であって、精神が自立するからこそ新しい視点ができて、新しい文化ができあがってくるわけです。
ただし西洋のルネサンスが発見した新しい視点というのは、結局ギリシャローマの再発見でしかなかったりするわけです。
すごいですよね、アリストテレスは「矛盾律」などというものを発見したりしたんですよ。
飯坂 =とか>,<というのは関係性を表すものなんです。ひとつだけの関係性であるならば矛盾は生じないわけです。2つ以上のものがあってその関係性を整合した新たな論理を作るときに、矛盾が生じる可能性が出来るわけです。
運営者 何という発明でしょうね。そこを明らかにしないと、システムについて考えることができないんですよ。システムというのは、サブシステム間の関係性の問題ですから。
しかし、「矛盾」なんてのはですね、非常に融和的な精神を持っている旧日本人には必要でないものなんですよ。ニアリー・イコールであれば、それはイコールとしておいていいんです(笑)。
飯坂 そうなんですよ。そもそも、イコールであるということ自体をはっきりとさせませんからね。イコールであることをはっきりと決めると、のちのち矛盾が生じてやっかいなことになりますから。
運営者 面白いですよね、だって商売するときには秤(はかり)が必要なわけじゃないですか。
飯坂 秤は必要だけど、その秤が正確であるかどうかは分からない。
運営者 秤のおもりを誤魔化すことは広く行われていましたね。
飯坂 ルネサンス以前の西洋でもそれは行われていて、商人がさげすまれる原因となっていた。シャイロックというのはその典型だったんでしょう。そこにシェークスピアは矛盾律を適用して、「胸の肉は取っても良いけれど血は流すなよ」と言ったわけです。
運営者 そこに、ルネサンスがあるんです(笑)。