■即物的志向 / 内的世界の充実を志向2
おやじ うちの会社も苦労して建てた本社ビルを証券化して売り払ってしまったんだが、情けないことだよな。社員の誇りだったのに。どんどん資産を切り売りしている。銀行から金を借りる担保が減っているということじゃないか。困ったもんだ。
若造 だけど、「この会社は優れた価値創出能力を持っている」と市場が認めてくれれば、担保なんかなくても株式市場からお金を調達することができるじゃないか。そちらの方が正解じゃない?
旧日本人は、「価値はモノにくっいているもの」と思っていて、目に見えないものの価値を見極められないようだね。だけど、見えないものの値打ちがわかるようにならないと、まともなビジネスマンとは言えないと思うんだ。
おやじ だったら、オレにはちょっと無理だな。しかし目に見えないもののが、実際に目に見える本社のビルよりも値打ちがあるというのはおかしい気がするけどな。
若造 そこを理解しないといけないよ。個人のレベルでもまったく一緒。人間の値打ちは、その人が何を持っているのかによって決まるわけじゃない。その人がどれだけ豊かな心の世界を持っているかが大切なんだ。
だから「ぜいたくで高い着物を持っている」とか、「地価の高いところに家を持っている」というのは、その人の価値を計る尺度にはならないということ。それはあくまでも、そのモノの価値でしかなくて、それはそれを持っている人の値打ちとは切り離されているわけだから。
おやじ ということは、うちみたいに通勤に一時間かかるわが家でも悪くはないということだな。
若造 自分の内面を磨く努力をしている人であればね。他人と同じものを所有することによって自分の存在の確認をするのではなく、「何に本当に価値があり、何が普遍的なものなのか」について、一流のものを見て考え続けるべきだよ。
多分それは、突き詰められないと思うから、ずっと探求を続けなければならないんだけど……。
おやじ オレもべつに人生経験は少なくはないと思うが、これ以上新しいものが出てくるかね?
もうずいぶん前に、「もうこれ以上はいいや」と思って、勉強するのをやめたような気がするが。時代劇見てるほうが楽しいしね。
若造 そうするとその時点で、人間的な成長が止まってしまうよね。「いま自分が知っているモノよりもいいものがこの世の中には必ずあるんだ、価値の高いものが存在するんだ、だからそれが何なのか知りたい!」と思い続けることが、これまでの自分を否定して捨て去り、新しい自分に脱皮するための、ただひとつの道なんだ。
おやじ フン、偉そうに!