価値志向■
■価値軽視 / 価値を追求する
若造 あー、まったく。旧日本人を見ていて思うのは、とにかく勉強しなさすぎ、ものを考えなさすぎってこと。それで毎日が過ぎ去っていって、不安にならないのかな。
物事の価値を考えようとしていないから、危機感を感じないのは当然だと思うけど、「ずっと現状のままで大丈夫だ」と思ってるわけ? 「常に明日という日がまちがいなく来る」と信じている?
おやじ バカだなあ。夜明けの来ない夜はない。終わりのない嵐はない。山より大きなイノシシは出ない。だからあわてず、騒がず、無為自然にしていれば大丈夫なんだ。
どうしたらよいのかわかっていないくせに、「改革だ」「革新だ」と騒ぐ連中の話を聞く必要なんかない。今までこれでちゃんとやってきたんだから。
むしろお前たちの考え方の方が不思議だよ。「価値を追求する」というが、それは一体何なんだ。そんなものがお前には見えるのか?
若造 見えないから探すんだよ。例えばライバル会社が新しい商品を開発したら、それを見て「これは自社製品と一体どう違っているのか、それはなぜなのか?」を分析して対抗策をとろうとするするよね。物事にはすべて意味があるけれどそれは「自分や顧客にとってどのような価値があるか」ということで測るわけだから、それをどんどん深く考えていくと、「人間とは一体何なのか」という疑問にまで到達するのが自然でしょう。
人間はいずこより来たり、何のために生きて、いずこへと去るのか、その答えがわかるとはぼくにも思えないよ。だけどその答えを探すことは、すなわちものの意味や価値を考えることになる。それをしなければ、自立して生きる態度を身につけられないと思うんだ。
おやじ なぜそんなことする必要があるんだ? われわれは会社の持つ価値を信じてさえいればそれでいいんだから。
それ以上先の心配をするのは出すぎたことだ。会社にいればそういう面倒なことを考えずにすむんだから。余計なことを考えている連中は、みんなの不安を煽って、秩序を混乱させようとしているだけなんだ。
若造 そうしたら想像してほしいんだけど、もし会社を辞めたら「何が正しいのか」という基準はどうやってつくるわけ? 「果たして自分の生き方がこれでよいのか」をどうやって確認するわけ?
おやじ それはだなあ・・・、考えたことがないな。
若造 どんな生粋の旧日本人でも、いったん会社を離れてしまえば、会社を超えた社会全体にスタンスを置いて、自分の手で価値を求め始めるしかないじゃない。社会的な観点に立った価値観を持たないサラリーマンは、会社にべったり依存してしているということだよ。そうなった瞬間に、「自分自身の生活の大部分は会社組織の中における活動しかない」と狭く自己規定してしまうから、組織論理を優先して物事を考え始めるんだ。そうすれば精神的な負担を減らすことができるからね。
そこには、精神的な弱さがある。自分の可能性の一部分をあきらめてしまった態度なんだ。
おやじ しかし、日本人全員に「社会的な観点に立った価値観」の構築なんかできるんだろうか。オレはできないと思うね。日本人は自分で価値を求めようとする民族じゃない。
若造 今のところはそうかもしれない。これは、あくまで各個人がやらなければならない心の旅だからね。自分で物事の判断ができるように心の中で積み重ねていく地道な作業だから。でも自分自身の確固とした価値観がないと困ることもいっぱいあるんだよ。
おやじ オレは困ったと思ったことは、今まで一度もないぞ。そうだ、普通に生きていて何の問題も感じないのに、そんなややこしい価値の追求なんかする必要ないじゃないか。
若造 価値観を追求し、常に磨き上げていなければ、プロフェッショナルとしての仕事はできないはずだよ。
どうしてかというと、「何が本物で、何が偽物なのか」を見極めて、本当に価値のあるものだけを相手に提供できて、初めて「プロの仕事」になるからだよ。「どのような仕事が喜ばれるのか」「何に一番値打ちがあるのか」という絶対価値がわかっていないと顧客の満足は得られないでしょう。