■価値軽視 / 価値を追求する2
おやじ なんだその、絶対価値というのは?
若造 自分の周りの社員とか、今までの仕事のやり方とか、ライバル会社の商品との差を考えて意味づける価値いうのは、相対価値だよね。そうじゃなくて「これが絶対にいいんだ」という、他とは比べようがないオリジナルの価値ということだよ。これができれば強いよね。
おやじ そんなものが簡単に実現できるはずがないだろっ!
若造 最初からあきらめていては、できるものもできないじゃないか。
それから自分自身の価値観も持っていないともうひとつ困ることは、自分が「まちがいに荷担しつつある」と内心感じていても、はっきりとを「NO!」を言えない、拒否できないということがあるね。
これはどういう構図かというと、相手に対して断固として「NO!」が言えるのは、それが自分の価値観に反していると確信してるからだよね。ところが旧日本人は、対人関係を「支配=従属関係」として結んでいるので、「自分の方が従属している」と思い込んでいる相手から命令されたことは、何も考えずに単純に実行してしまう。そうすることにまったく抵抗を感じないし、「そうあるべきだ」と思っている。だからずるずると共犯関係に組み入れられてしまい、きちんとした規律や組織を忘れて、とんでもない反社会的なことをやってしまったりするわけ。
集団主義的な人間にはそういう危険性があるということだよ。
おやじ お前が言わんとすることは理解できるが、それは日本企業の良い部分の裏返しなので、ある程度は避けられないことなんじゃないだろうか?
若造 各人が自立していて、オープンな市場から取引相手を選べる環境があれば、そういうまちがいを防げるんだけど、旧日本人はまず自立するのを極端に嫌うし、自由市場自体も否定したがるよね。その根っこは同じで、「会社という同じ価値観を持った人間集団の中にぬくぬくとしていたい」という甘えにあると、ぼくは思うけどね。
おやじ お前は、「自由な人間が集まり、どんどん勝手にくっついたり離れたりする社会がいい」と言っているようだが、それでは秩序というものが成り立たないだろう。
やってみたら困ったことになるのは目に見えているぞ。
若造 だから、価値観が必要なんだよ。
お互いが共有する価値観に基づいたルールを明らかにしておいて、そのルールだけには従う必要がある。だけど「それ以外のことは何をしてもよい」としておけばいいじゃない。自立した個人は、ルールと価値観にもとづいて行動するということだよ。
おやじ 本当に信用できるものは、これから決めるような新しいルールや価値観ではないと思うがな。
われわれが信じるべきものは、日本人の心の奥底にもうすでにあるんだ。それを素直に信じていればいいんだ。浅はかな自立とか、勝手につくったルールなど信用する者はいないはずだぞ。
若造 その旧日本人が信じている「すでに日本人の心の奥底に存在している価値観」だって、過去の人がつくったものじゃないか。人がつくったものを神格化して絶対視し、新しい価値の追求を忘れ、自分を過去の価値に無理に従わせようとしているだけだろ。
改革に反対する守旧派はそこにつけ込んでいる。なぜ旧日本人はその呪縛から離れることができないんだろう?
いずれにせよ、価値観をめぐる旧日本人の行動原理はわれわれとかけ離れていて、どこにも接点はないようだね。