■自己目的化・権威の高揚 / 自立した個人として社会に参加3
若造 そうすると、そこに組織的な目標なんてのは存在しないわけだよ。会社の中心とか実体というのは「そもそもない」ということになる。会社の住人である社員たちは、ただ毎日会社に行って、忙しそうな振りをして働いているけれど、目的がないんだから猿芝居みたいなもんだよね。ボーイスカウトの集会で、広場でたき火の周りを輪になって踊っているようなもので、何の生産性もないことをやっている。論理的に仕事を考える必要性も感じていない。
要するに、旧日本人は、「会社を生活の場としか見ていない」ということだと思うよ。
おやじ ずいぶん、ドライな見方をしてるんだな。
若造 だって、旧日本人は「会社にいられればそれでいい」と思ってるんでしょ。居心地の良い居場所を確保するためには、周りと「仲良く協調」することが一番大切だから、今まで共通認識になっているの仕事やり方を無理に変えようとしたり、他人の仕事ぶりを批判したり、ましてや他の人の縄張りに介入しようなんていうことは一切してはならないという態度になるよね。つまるところ「黙っているのがいちばん賢い」ということ。
おやじ その通りだよ。人様のことに口出しをするなんてとんでもないことだ。人間、自分の分をわきまえないとな。
その反対に、どこの馬の骨とも知れない奴が、われわれの会社についてどうこう言うというのもけしからんことだ。ほっといて欲しいもんだね。
若造 「企業市民」とか、「情報開示」という概念がまったくないんだよな。そうすると環境は変化しているのに自分たちの仕事は進歩しないことになる。だから儲からなくなっちゃうんだよ。そして会社がつぶれそうになっても、「これまでの方法で問題ない」という発想しかないから、どうすればいいのか誰も対処方法がわからない。
それじゃあ、生活の場を確保するという当初の目標もおじゃんになっちゃう。どうすればそれを防げるかというと、やっぱり自分が属す組織を支えているのは一人ひとりの個人なんだから、個人が積極的に組織を支えるしかないんだ。そのためには積極的に発言し、知恵と力を合わせて組織を守らなければならない。
さらにそれを延長していくと、「個人個人が、自分が属している社会を支えなければならない」という考えにたどり着くんだけど、会社にぶら下がり続けることしか考えていない旧日本人には、「社会参加」なんて到底無理だろうね。