■リーダシップの欠如 / フォロワーの役割認識
若造 いいねえ、そこまで会社を信じることができて。というか、そこが最後の砦なんだな
おやじ 会社を信じている社員は大勢いるんだから、オレたちの方がある程度の力を持つのは当然だろう。
若造 その、「数に対する信仰」というのは、戦後民主主義の洗礼を受けてきた人たちに共通のものだね。どんなまちがったことでも、権威と金持ちと多数派の主張が常に正しいと信じてるもんなあ。本当に「数さえ多ければ、正当性を主張してもいい」んだろうか。人数が多い方の人たちの主張が正しいのかな?
経営者がリーダーシップを発揮するためには、みんながある程度彼についていく姿勢を見せる必要があるだろ。つまりリーダシップが成り立つためには、必ずフォロワーシップというものが必要なわけ。
おやじ オレはリーダーシップの本を読むのが好きだし、管理職になる時にリーダーシップ研修も受けたよ。
若造 そうそう、管理職はリーダー論の本を読むのが大好きだからね。だけど、リーダーの側だけが頑張ってもだめなんだって。部下の人たちにそのリーダーについていく態度(=フォロワーシップ)がなければ、リーダーシップというのはまったく成立しないんだよ。
ところが、最近では「数さえ多ければ無理が通る」と思っている人が多すぎて、まともなリーダーシップが成立しない状況だよね。昔ながらの権威主義も、数の優位には通用しない。小泉内閣は弱小派閥の、しかも派閥リーダーじゃない人が首相になったケースだけど、最初のころは自民党の総裁が改革を主張しているにもかかわらず、守旧派の議員たちはあからさまに抵抗してたよね。彼はそうした抵抗勢力を上手に取り除いていったけど。
おやじ じゃあ、お前は、自分たちが不利になってしまう改革を親分がしようとしているときに、それを黙って認めるのか?
若造 それが社会全体のためになるのであればね。経済環境は常に変わっていくものだし、その変化に対応しなければ組織は滅びてしまう。「変化に適応するためには、リーダーの指示に従うのが自分の立場である」という、フォロワーとしての役割認識をしているつもりだよ。
おやじ へえ、まったく理解できないな。お前も利己的な動機だけで動いているんだと思ってた。