■仕事軽視・会社重視 / 利益追求感覚2
若造 どんなに頑張っても、結果として儲からなければ仕事に意味はない。コストをかければ顧客を満足させられるのは当然だよね。コストをあまりかけずにお客さんを満足させる商品をつくるという、ギリギリのトレードオフ関係を追及していくのが、最高にエキサイティングなんだよ。そこに仕事の面白さのひとつがある。顧客を満足させ、株主にも配当を払って喜ばせ、その後でたっぷり給料をいただくというのがやりがいになるよね。
もし儲けを追求しないのなら、お客さんは逃げていくし、株主も株を売って逃げていってしまう。これはいただけない。だから仕事を通してわれわれは新しい価値をつくり出していかなきゃいけない。
もっと大きな視点から考えると、自分の持っている能力は社会全体に対する価値創出のために使わなきゃいけないんだから、不良債権がたまりすぎていてどう転んでも儲からないシステムの会社にいるのは時間のムダなので、とっとと辞めて他の会社に行った方がいいということなんだよ。
おやじ 今までやってきたことを続けることに意味があるんじゃないのか。それが本来の仕事というものだろう。
若造 それは「仕事」じゃない、単なる「作業」だよ。本当の仕事というのは、「不可能を可能にすること」なんだ。
ぼくの会社の先輩たちも、新しい価値をつくらず、あるものを右から左に流す月並な仕事をしているようにしか見えない。だけどもし労働力を市場競争をして売り買いしていたとしたら、そんな程度の低い仕事をいったいだれが高い値段で買うだろう。今までは「社員」という身分は保証されていた。それが旧日本人社員のモラル・ハザードを招いた土壌なんだ。
だけどいまや派遣労働者が増えてきて、労働力も外から買うことができるようになった。そうすると、他人と入れ替えができるような仕事しかしていなかったら、いつ降格されたりリストラされてもおかしくないと考えなければ、それこそおかしいよ。
おやじ お前そんなこと言うけど、自分で価値をつくることができる人間なんて、いったい何人いると思ってるんだ?
若造 だれだってできることだよ。与えられた仕事の中で、「こうすればお客さんが喜ぶだろう」とか、「もっとこうすれば作業が一工程減るだろう」とか、そういう工夫をこらすことで、それは「作業」から「仕事」と言えるレベルのものに向上するはずなんだ。その当たり前のことを淡々と積み重ねていけば、他人から見ると「とてもそんなことはできないだろう」というようなことでも実現できるはずなんだ。
そして、まともな世の中というのは、普通の人が朝九時から五時まで普通に働いていれば、一家四人をちゃんと養うことができる世の中だと思うんだ。もしそうなってないんだったら、それは何かがおかしいから、政治的に解決する必要が出てくると思うよ。どうしてかというと、人には得手不得手が必ずあるわけだから、自分が得意なことを一生懸命やっていれば、必ず人様の役に立てるわけで、そこには値打ちがある。その自分の労働力を自由市場で交換して、妥当な値段をつけてもらえばいいわけだね。