■仕事軽視・会社重視 / 利益追求感覚3
若造 「仕事を通して価値をつくることに意味がない」と考える旧日本人に残っている仕事の基準は「どれだけ頑張るか」ということしかない。だから会社のために頑張ること自体に意味があるんだろうな。頑張りさえすれば、成果は問われないということだよ。
それはなぜかと言うと、旧日本人は「自分は一生この会社にいるはすだ」と考えているから、忠誠心を見せることが会社の中で生きていく自分の存在の正当性につながるからだね。それと、どうせ仕事の成果をいくら上げても、ほとんど何もしない社員と給料は変わらないわけだから、頑張った振りだけしていれば十分なんだよ。点数を上げようと思ったら、滅茶苦茶苦労して利益を上げるよりも、頑張った振りをして会社に対する忠誠心を上司に印象づける方が簡単だもんね。
おやじ やっぱり価値をつくるつもりになんかならないな。今の経済環境ではどんな仕事をしてもなかなか利益は上がらないもんだよ。しかしそういう厳しい状況の中で、自分にできる最大限の努力をするということが尊いんだって。最初からあきらめていてどうする。
若造 そうやって玉砕戦法で突っ込んでいってもしょうがないじゃないか。ぼくにとっては、自分が時間をつぶして働くのなら、それが何か意味がある仕事でなければ耐えられない。それに「自分は会社に自主的に参加している」と思っているから、「給料分の働きはしなければ申しわけない」と強く思っているよね。だから積極的に自分の仕事を改善して、会社の目的達成のために知恵を使って仕事をしたいと思ってるよ。
だから、旧日本人は「会社のため」を重視して「仕事の成果」を軽視しているけれど、その実自分が地位を得るために働いているわけ。
しかしぼくらは仕事自体を重視して、会社への忠誠心を軽視しているというスタンスの違いがあるようだね。
おやじ 出世しなければ、しょうがないじゃないか。
若造 お客さんが喜ばなければ、いくら出世したってしょうがないじゃないか。
われわれは働くことで価値をつくるんだけど、その価値を消費してくれる相手が誰かいるわけで、どんな仕事にも直接的あるいは間接的にお客さんが必ずいる。そのお客さんとの関係こそ、われわれがいつも意識していなければならないことであり、仕事の最終的なゴールなんだ。そこでは、上司とか仲間とかはまったく問題ではないはずなんだよ。
だってわれわれは「一生同じ会社に勤める」とは思っていないんだから。
おやじ 本当に薄情というか、恩知らずだな。
若造 今どき、一社奉公で一生が終わるなんて思っている若者は一人もいないよ。