■部分最適化 / 役割認識2
おやじ 当たり前じゃないか、どうして無能な奴にわれわれが従う必要があるんだ。
遠山の金さんが面白いのは、ちゃんとした奉行でありながら、下層の庶民に気を配り、かつ剣の腕前も立つという人物が、物事をきっちり押さえて悪い奴にお上の立場から正義の裁きを下してくれるというところだ。リーダーはそういうヒーローでなければならない。そうでない人間が偉そうなことを言う権利はないんだから、「分をわきまえろ」ということだな。
若造 金さんは、警察も検察も、裁判官もひとりでやって、その上いじめられていた庶民の弁護士までやっちゃうんだから、これは独裁だよね。
テレビでは独裁者には庶民の痛みがわかるよくできた人間がなるけど、実際の世の中で独裁的地位に就くのはスーパーエゴイストだというのが通り相場だろ。リーダーになった人間は、ほんとはちっとも優秀でもないのに、たまたま政治力があって派閥抗争に勝って成り上がっただけで、「自分は全能だ」と勘違いしてる人が多いし、もっとまずいのは「リーダーであるが故に何をやってもよい免罪符を与えられているんだ」と強烈に勘違いしてる人がいることだよ。守旧派の政治家って、みんなそうだよね。われわれから見ていると滑稽だよ。
そうじゃなくて、リーダーになる人はたまたまリーダーの役割が得意だから、その能力を評価されてリーダーになっているにすぎないんだ。リーダーの人格と能力を切り離して考えないと、おかしなことになっちゃうよね。
そしてこのリーダーの能力というのは教育することができるし人に伝えることができる、また他の組織に行っても通用するはずだということ。ある会社の社長であれば、別の会社に行っても組織を運営する能力があるはずだよ。
おやじ うちの会社に、うち以外の出身の社長が来るなんて考えられないことだ。
若造 それは、勘違いにすぎない。そういう身内の論理だから、無能な人間がトップでも平気なんだよ。僕は社長の出自は問わないから、優秀な経営者に来て欲しい。
そして、リーダーには他の人にはない多くの権限が認められている代わりに、守らなければならない決め事をきちんと守る義務があるし、その義務以上に自分自身を厳しく律する規律を持つ人間でなければリーダーの資格はないと思う。
ところが旧日本人はそう思っていない。鈴木宗男が、外務省ロシア課の課長補佐に、「一介の課長補佐の分際で何を言うか、国会議員のいうことに従うことが民主主義なんだ」と言って暴行を働いたのが典型的だよ。
おやじ どうしてだ。選挙民に選ばれた人間は国民の代表なんだから、外務省の人間より偉いのは当然だろう。