■部分最適化 / 役割認識4
若造 だけど、旧日本型組織で「ご無理ごもっとも」でそれが可能なのは、そういうやり方を受け入れてしまう側にも問題がある。なぜなら、みんながプロとして仕事をしているのなら、そうした不当な介入は退ける権利があるし、またそれはプロとしての責務だとも言えると思うけどね。
おやじ 要するにお前たちは、「リーダーの権限を制限したい」と思っているんだな。
若造 ぼくらが考えているのは、目的はただひとつ、組織目的の達成だし、会社全体の利益を最大化することだよ。その目的のためにリーダーはリーダーの仕事をするし、部下はおのおのの仕事をすればいいだけじゃない。
それと、もうひとつ忘れてならないのは、「会社全体の利益を上げるためならば、他人に手柄を譲ってやってもいい」という余裕だよね。何かプロジェクトをやるときに、自分にしかできない仕事があるんだったらその役割を達成するためにベストを尽くすけど、人にやらせた方がより簡単に目的達成ができるのであれば、そいつにやらせた方がコストが安くつくから組織のためになる。自分の部署の手柄ばかりを追求する必要はないということ。
そういう発想ができなければならないし、またリーダーはそういう脇役に回ることの大切さを認識し、会社はそういう役割の果たし方をする人間を認めるように評価項目をつくらなければならないだろう。
おやじ そんなことをしたら、出世競争に負けてしまうじゃないか。「何がなんでも自分が他人より前に出る、常に前に出る」という姿勢を忘れたら、サラリーマン社会の中では生き残れないんだぞ。そういうところが、お前たちは考えが実に甘いよな。甘ちゃんだよ。
若造 そういう画一的な考え方しかできない旧日本人社員たちが、まったく同じような発想で、まったく同じような横並びの競争をやっているから、コストがかかる割には効果が上がらないんでね。それとそういう意識を持っていると非常に問題なのが、「とにかく仕事の上では自分が得をしなければ無意味だ」と考えている旧日本人リーダーが主導するチームは、全体の利益を意識しないということ。「とにかく自分さえ」という姿勢であれば、「部分最適化」が起こりやすいよね。
おやじ また部分最適化か。部分最適化って、なんだっけ?
若造 説明したじゃないか、ちゃんと憶えろよ。会社であれば、「自分の部署や予算を縮小をした方が全社に利益貢献するのであれば、そういう方向に進もう」とするのが全体最適を考える態度。「いや、自分の部署や予算はどんなに赤字であろうと死守する。むしろ更に追加投資を行うべきだ」と見境なく吹聴するのが部分最適。つまり、「自分さえよければ何も問題はないんだ」という近視眼的な発想法のことだよ。
縦割組織では、こうしたまちがいが起こりやすい。もっとも典型的なのは霞ヶ関をはじめとするお役所で、国全体のことはまったく考えず、「自分の省さえ予算が獲得できれば、人員を増やせれば、認可法人をつくれれば、日本国がどうなろうと一切構わない」ということで高度成長期以後やってきたので、日本はここまでどんどん傾いてきたわけ。それとおんなじことは、官僚機構を持っている日本企業ではまったく普通のことだね。