■部分最適化 / 役割認識5
若造 縦割組織では、こうしたまちがいが起こりやすい。もっとも典型的なのは霞ヶ関をはじめとするお役所で、国全体のことはまったく考えず、「自分の省さえ予算が獲得できれば、人員を増やせれば、認可法人をつくれれば、日本国がどうなろうと一切構わない」ということで高度成長期以後やってきたので、日本はここまでどんどん傾いてきたわけ。それとおんなじことは、官僚機構を持っている日本企業ではまったく普通のことだね。
おやじ それはだ、どこのだれが「自分が持っている権限を減らしたい」と思うか? 進んで権限を手放すように行動するか? お前が言ってることは、ただの「ないものねだり」だぞ。
若造 そうだろうか? そうやって、仕事を全然しないくせに他人にはとにかく反対して会社にぶら下がっている人間が多いから、最終的につぶれてしまうわけで、もしこれからの時代を会社とともに生き残りたいと思っていたら、自然に組織全体の利益を最大化させる「全体最適」を考えて行動する以外に、道はないと思うけどね。
そのように社員の意識改革をできない会社は、長くは続かないよ。
おやじ そうは言うけどな、会社で働くサラリーマンにも辛いところはあるんだぞ。ほとんどのサラリーマンは、「自分は一生、ピラミッド組織の底辺で働くんだ」と心中思っているわけだし。そうすると、生きるための前向きな希望は持ちにくいよな。
若造 それは上司の方とか、会社の中しか見ていないからそういう絶望感を抱くわけであって、ぼくらの目線は常に顧客に向かわなければならない。「われわれは、地位を得るために働いているわけじゃない。もっと顧客のためになる仕事をするために働いてるんだから。
仕事が面白いのは、お客さんの心ゆり動かすような新しいものを提供できることだよ。これは組織の中の出世競争よりも格段に面白いことじゃない? そう思っていれば、お客さんと一緒に自分自身も成長していくことができるし……。
「自分は組織の一員である前に、一人のビジネスマンであり、一人のビジネスマンである前に、社会の一員である」と思っていなければならない。だって、自分が仕事を通して生み出した価値は、誰かが評価してくれて初めて値打ちが発生するものであって、「その誰かというのはいったい誰なんだろう」と考えていけば、それは自分の周囲の人間であり、お客さんであり、最終的には社会全体ということになるでしょう。だから、仕事というのは、世界全体への入り口だと考えられる、そう考えると仕事の持つ意味というのはすごく大きいよね。
個人は仕事をしている限り孤独ではない。世界につながっているんだ。だから会社のことばかり考えるというのは、ちっぽけで近視眼的なことなんだとぼくたちは考えているんだよ。