対人観
■排外主義 / オープン型対人観
おやじ お前のように、理詰めの考え方をしていると、まわりの人に嫌われるだろう。それは損だとは思わないか?
若造 人は、「好き嫌い」で物事を判断しがちだけど、それは本当はおかしいと思うよ。合理的に考えて判断をしなければ、最終的には損をするのは自分だよ。
おやじ そんなの、初対面の人間を見て「こいつはまともか、それともどこかおかしいか」なんてわかるわけがないじゃないか。だから、とりあえず誰かの紹介だったら安心できるし、以前から知ってる人間を使った方がまちがいがないだろう。知らない奴は、警戒するのが当然だと思わないか?
若造 旧日本人は、知らない相手とはまず敵対するよね。原始人かなんかが、川に水を汲みに来たときに知らない部族とばったり遭ったみたいな感じで、大人気ないよな。
「相手が何者か」ということは、相手の人相風体を見て、ちょっと話してみて「相手がどれぐらいの経験や知識を持っているのか、どのような考え方をしているのか、どういった知り合いがいるのか」といったことから、ある程度推測できるはずだよ。
ぼくなら、初対面の人間でも、どのように接すればいいのか、どのようなことをすれば相手が喜ぶか、彼と関係を結ぶことによってこちらにもメリットがあるのかといったことを、相手に対してこちら側の情報をうまく出しながら探っていくよね。お互いの情報をオープンにしながら双方の間に架け橋をつくろうとするけどな。
ところが相手に旧日本人が出てきた場合は、情報は全然くれないし、話しても何を考えているのかさっぱりわからないし、ただ「名刺の社名と肩書きだけで、こちらを判断してくれ」という態度なんだけど、それなら何もわざわざ会って話す必要はないんだけどなぁ。結局、旧日本人とつき合いたいと思ったら、彼らの身内のインナーサークルに入らないといけないということなんだけど、それではビジネスの効率が悪くなってしまうので、どちらかというと避けたいことだね。
おやじ そういう危険な相手は、こちらからもお断りだ。身内は味方だが、身内に入ってこようとしない人間はどこか怪しい。「何かこっそり儲けて、逃げていくつもりじゃないのか」と思われても仕方がない。
そのかわり、こちらの身内に入ってくれれば、ありとあらゆる意味で優遇してやるぞ。お互いが安心できて、何も問題ないじゃないか。気心の知れた仲間の間で仕事をして、儲けは分け合う。共存共栄というやつだ。会社の中でもそうだろ。どこの組織にもある社内派閥で、味方はひいきするが、どこかの身内集団に入れなかったら一生冷や飯を覚悟しなければならないんだぞ。
若造 ぼくの上司なんかも、えこひいきは当然だと思ってるからね。自分が気にいった人間に対しては、恥ずかしげもなくものすごく点数が甘いよ。旧日本人にしてみると、相手の実力はまったく問題ではなくて、「自分との相性が良いか悪いか、自分が好きか嫌いか」によって対人関係ををつくってしまうね。
おやじ 当たり前だろう。オレが課長だから組織が保っているわけで、オレが気に入らない奴に大事な仕事を与えても、うまくいくはずがないじゃないか。それが組織というもんだ。
若造 頭痛い……。人材評価は「いい仕事ができるかできないか」が問題であって、「そいつが好きか嫌いか」は関係ないじゃない。黒いネコでも白い猫でもネズミを捕るのがいい猫だよ。気に入らない部下でも、使いこなした方が得だとは思わないかい。
その反対に、組織のトップが自分に絶対服従するような人間だけを取りたてていったら、会社はライバル企業に負けちゃうよ。ところがそういう人間しか出世できないようになってるから、旧日本型組織って悲しいんだよね。