■「情報共有」拒否 / 「知」を共有
おやじ なにがコミュニケーション能力だ。お前たちは、「場」の雰囲気を察するなどという高級なことはとてもできないようだな。われわれは、向かい合って座れば、お互いが何を考えているか以心伝心察することができるんだ。
それを「ボクはこう考えてるんだけど、キミはどう思ってるの?」などと、いちいち訊ねるなど、見苦しいことだと思わないか?
若造 なるほど、旧日本人得意の「空気」というのは、そういう非言語的なコミュニケーションで何となくできあがってくるものなんだね。まあある種の芸術的なテクニックかもしれないな。
でも今までそれですんでいたのは、本当のところは組織や取引関係に、あまりにも動きや変化がないために、新しい情報や知識を交換したり、共有したりする必要がなかったからなんじゃないの? だって、会社が今日も明日もそこにあるのならば、それで十分であって、自分の地位も年功序列で安泰だし、コミュニケーションができていなくても何も問題はなかったわけだから。ただお互い何となく組織の中心を見つめながらぼーっと生きていくだけなら、頑張ってコミュニケーションをとる必要性がないよね。「必要は発明の母」というけれど、必要がなければ、努力はしないわな。
おやじ だから、会議の場で見苦しく自分の意見を主張したり、上司と自分の査定を巡って論争したりしなくていい、日本企業にはそういう美しい雰囲気があるわけだ。何が悲しくて、それをわざわざぶち壊さなければならないのかね?
若造 断言できるけど、それが組織の変化を阻害する「悪」だからだよ。
もうひとつ旧日本人に顕著なことなんだけど、自分が持っている仕事に役立つ情報を、周りのみんなと共有したがらない。どちらかというと情報をなるべく隠匿しておきたいという傾向があるよね。どうしてかな。
客先の情報とか、他社の情報とか、共有した方が絶対に良い仕事ができるはすなのに。ぼくの上司なんか意図的に情報を隠すだけじゃなくて、部下が情報伝達することを妨害してるんだけど。そういうことをすると、もしきちんと会社の中で連絡しておけば儲かったはずのビジネスチャンスを逃してしまうかもしれない。そういう機会損失が発生する可能性があるわけじゃない。それはすごくもったいないことだよね。積極的に情報を出してデータベースに蓄積するべきだよ。
ところがこれを、旧日本人は理解しない。とにかく自分の知識も人脈も囲い込みたがる。そしてそういう人に限って、部下が社外に積極的に出ていいろんな人とつき合うのを嫌がるんだよね。
ぼくらはね、まず自分から、「ぼくはこう思うんだけれど」と、堂々と意見を言って、自分と立場の違う相手の考えを引き出そうとするんだ。オープンに情報発信して、相手から返ってきた情報を評価し、正しいことは「正しい」、まちがっていることは「これはちがう」と判断して、柔軟に自分の考え方や態度を変更する、そういうやり方をとるんだ。