全体最適と機会費用
インタビュアー 飯坂彰啓
飯坂 学歴のない人でも、集団就職のような形で都会に出てきて仕事できたわけだし。
集団就職というのは、日本以外にもあるでしょうかね。わけのわからない人買いいみたいな周旋屋がやってきて村から何人か集めて汽車にのっけて送り出すわけでしょう。それが大きな社会問題になったという話は聞かないから、成功したということだね。それって、今から考えるとすごい話だなと思うなぁ。わけのわからない人間を信じちゃうなんて。
運営者 食えない奴が、食えるようになるんですから。
信用ということに関していうと、もし全員がお互いのことを思いやる社会であれば、皆がお互いを信用できるということになるじゃないですか。日本はそういう社会だったのでは? 周旋屋は信用できない人たちかもしれないけれど、金の流れは正直なわけで、企業は人的資本をもとめていたし、それは言ってみれば、機会費用が最低ですんだ時代ですよ。
飯坂 中国では大卒ホワイトカラーが出世するキャリアパスは官僚以外にはありえないらしいです。企業においては、経営陣は他人は信用できないので身内や学閥で固められ、それ以外はどんな能力があっても低賃金労働者なのだそうです。したがって能力のある労働者は起業してその一部が成功するのでしょう。日本とは正反対ですね。
運営者 そしてまた日本文化は、機会費用を最低化できる文化なのかもしれない。
飯坂 そうですね。
運営者 そうした文化が日本のベースにあるから、今はものすごく日本は多様化しているし、高コスト社会になってはいるけれど、いざとなったらその強みはまた発揮されることになるだろうというのが、この話のポイントなんです。
飯坂 救急車をタクシーがわりに使うような連中が増えてきている中で、それは成り立つかね? 機会費用を最低化するような文化的な枠があるというのは、相互監視社会だったからじゃないのかなぁ。
運営者 五人組から始まってますね。
飯坂 相互監視体制が消えて久しくなれば、そんな文化は消えてしまうのでは?
運営者 いや五人組制度や、身分差別による相互監視制度・秩序維持が成り立ってきたのは、日本文化の中にそのようなものを許容する素地があったからだという言い方もできるわけです。
つまり日本文化の中には「つねに全体最適を考える」という姿勢が織り込まれている、そうした希有な文化なのではないでしょうか。
飯坂 うーん、なるほど。