見切られていた過去の15年間
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 それで、ある国がそうした文化を持っていたとして、リーダーを含めた国民全体が荒波にもまれることで成長するということはあると思うんです。だから今のような泰平の世の中で、人々がみんなお互いに不干渉だったら、人間力も磨かれないわけですよ、これが。
飯坂 まあ、そういうことだな。
運営者 そういう中で、何でわざわざ今日こんな文化という話を持ち出したかというと、やっぱり外国に出かけていって、「コイツら何なんだ」と客観的に見るような訓練を、私も含めてもっとやった方がいいように思うんです。例えば僕がこの前台湾に行って見たのは、「ひょっとすると日本人と同根なんじゃないかなあ」とも思われる台湾人たちの優れた資質でした。
飯坂 それは台湾の国家を作ったのが日本人だったからなんでしょ?
運営者 いえ、僕は日本人と彼らは同根から枝分かれしたんじゃないかと感じたんです。ただしものすごく短絡的なところがあるし、日本人よりも我慢が足りないと思います。そこにはやはり違いがあって、日本人の方が洗練されてはいると思います。そこに文化の違いを感じました。
さらに他のいろいろな国に出かけていって、都市のなりたちを見てみたり、交通の様子を見てみたり、そこの人たちと話してみたりして、彼らが持っている文化が日本とどのように違うかということを比較してみると、おのずと彼らの持っている限界点も見えてくると思うんです。
大まじめにこんなこと言っているのは、これは本当はみんな感じているはずなんだけど、分析しようとしていないのではないかと思うからです。でもそれは、もし日本人がどんどん小さくなっていく地球の上で生き残るためには、そうした国際的な認識というか価値観をつくっていかなければならないはずです。
飯坂 日本人全体がそれをやるかどうかは別として、「日本の美徳とは何か」を明らかにして、それをシステマティックに作る努力をしてもいいかもしれないね。
運営者 いまどき、どんなに地方にある会社だって、外国に商売しに行ってるわけじゃないですか。その人たちは、そうした文化の違いをある程度知っていたほうがよいのではないかと僕は思うんですが。
それで、そうした視点から考えてみて、過去の日本の15年を振り返ってみるとどうだろうかという話をしてみたいんです。
つまり、この15年間は、日本文化の上にのっとった日本人がやってきたことなわけです。
よくわれわれが話をするのは、「1992年の時点では、この後日本に何が起こるのかはわれわれの目にはよく見えていた」ということです。それが現実化しただけで。
飯坂 そうだね。