大蔵省ビンのふた論
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 あの当時、B&B勉強会に集まった連中というのは、木村剛にしろ、手塚さんにしろ、官僚の連中にしろ、「これはバブルが崩壊して、その後に暗黒時代が来る」と明らかにわかっていたわけです(まだバブルという言葉はなかったけど)。それをテーマにして『オバ大国』という怪著(産経新聞書評の表現)にまとめたわけですから。
その時の認識は、不思議なことに、みんな議論をするまでもなく一致していたわけです。「これはもうアカン」ということで。ところが世の中表面上は好景気なので、ものすごい認識ギャップを感じましたね。
飯坂 あの本を、ネットにも載せてしまえばいいじゃないですか。
運営者 ごめんなさい、面倒くさいのでやるつもりはないです。
ただ、なぜこの話をしたかというと、あの時のわれわれは、これから先10年以上の方向性が、「こうなるだろう」と見えていたわけです。
それで、われわれのその後の仕事の原動力は何だったのかというと、「このままではまずい。ではどうするべきなのか」ということを探って世の中に知らしめるのと、実行してみせるということだったと思います。
僕自身も、「プレジデント」の編集をしていたころ、それからやめたすぐ後の仕事では、いくつかの自分の仕事の柱はそれだったと思います。「日本企業は沈没しつつある。では経営はこうするべきだ」とか、あるいは「役人がこんな勝手なことをしていてすむはずがないだろう」とか。
今テレビでは、さんざん役所たたきをやっているじゃないですか。だけどあのころはそうじゃなかった。僕は「大蔵省ビンのふた論」だったですから。
飯坂 なんですかそれは。
運営者 「大蔵省が財政や閨閥の頂点として日本に君臨している限り、この国の構造は変わらないだろう」ということです。僕は93年にそう考えるようになりました。だから大蔵たたきに手を貸して金融行政を分離するというひとつの成果を得たわけです。
ところがそういうネタを雑誌でやろうとすると、例えば住専問題なんて、住専問題が爆発する半年前に私は8ページのルポで取り上げているわけです。だけど編集長は、「岡本、お前そう言うけれど、大蔵省があるから日本は保っているんじゃないか?」とのたまうわけですよ。だもんなんで、ちゃんと取材をしないと、記事が通らないんですよ。
当時の人間は大半がそういう考え方をしていたのです。
飯坂 まあ実際、資本が足りなかった時代の日本はそうだったんだろうね。
運営者 計画経済やら傾斜生産方式の時代はね、役所主導しかなかったんだと思います。
でもこの流れは、戦前の国家総動員体制、40年体制を引きずっているわけです。それを解消しないまま日本は戦後も実はずっときているわけで、この点において日本文化は途切れることはなかったのです。
それで行き着くところまで「行け行けドンドン」でやってしまったどん詰まりがバブルじゃないですか。