人治主義には便利な側面もあった
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 それで、お上のお達しにより業界秩序を守っているなんていうのは、まさにその人治主義の極致なわけです。ですから私は、そうした法律による目に見える支配を乗り越えて官僚が権力をほしいままに、好き勝手やっていたのが小泉政権以前の霞ヶ関の世界であったと思うんです。
飯坂 下々の側が、「官僚の恣意的な支配に従っていたほうが都合がいいからやっていた」という側面もあるよね。
運営者 でもね、僕はどの役所の管轄の下にもない化外の地の業界にいたじゃないですか。だからそういう見方はしないんです。
飯坂 つまり、例えば銀行だと、本部の人たちは官僚なんです。そして本部の人たちの権威は、すべて大蔵省から来ているわけです。
運営者 銀行の本部が偉いのは、MOF担がいて、大蔵省と直結しているからですね。
飯坂 企画部にいるMOF担が、中期計画なんかを立てて、それを下々に行き渡らせるのですが、それは支店レベルでは絶対服従なんです。だから大蔵省の役人は好きなことをやっていたかもしれないけれど、そんなのは日本の銀行界の官僚サラリーマンが得てきたトータルの利得から比べると微々たるものですよ。
それは銀行だけじゃなくて、鉄鋼業界や機械業界それぞれにおいて、監督官庁からきた指令を錦の御旗として、経営企画部の連中は権威を保って下々を支配してきたわけです。それがまさに高度成長体制だったんです。
運営者 役所が生産量や業界秩序を仕切っていたわけですからね。
そこに日本文化の片鱗があると思うんです。他の国であれば、優秀な人材が、そうした官僚支配体制の下に組み込まれて、「本部が言ってることなんだからいうこと聞け」と言われたら、「あほらしいから辞める」ということになると思うんですよ。それをやらないのが日本文化なんです。
飯坂 ハー、そうだね。
運営者 それは自虐的に言っているわけじゃなくて、そうした行動基準には、なにがしかの美徳もあるかもしれないけれど、それが積もり積もってバブルになったのではないかということを私は指摘したいんです。
飯坂 その文化は、今も変わってないよね。
運営者 結論としては、そういうことになるんですけどね。
それでちょっと振り返ってみると、92年のころは、「これはアカン、今までの枠組みは崩れた。ではどうすればいいんだろうか。ゼロ成長というのは可能なのだろうか?」という議論をしていました。