日本企業を変えた一セットのコンセプト群
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 ではなぜそうした意識が変わっていったのか。日本の企業人の精神史を振り返ってみましょう。
97,8年には、変革のために取り入れなければならない概念は出そろっていたと思うんです。経営についても行政についても。
まず何より、ROEの概念を中心とした「企業は儲けを出さなければならないんだ」という当たり前の姿勢。
それから顧客の不利益になることはやってはいけないという、当たり前の忠実義務がやっと常識になってきたということ。これ、それまでは身内優先で「顧客第一」は絵空事でした。これが絵空事でなくなった。
市場重視、公正な競争を行うこと。
株主重視=コーポレート・ガバナンスの徹底。
組織の透明性。リーダーの説明責任。
法令遵守、内部統制をきちんとする、コンプライアンスの考え方。
企業社会市民といった「企業も公共心を持つべきだ」という考え方。
ガバナンスの考え方が広まることで、個人と会社を分けて考える思考法が根づき、「会社は売り買いされるもの」「不正行為は内部告発してもよいもの」という意識が芽生え、実際の行動に結びついてきた。これらが結びついて初めて、船場吉兆みたいに「自分を守る前に、会社を守れ」というヤクザな論理にNOと言えるようになったわけです。
そういった原則的かつ人治主義の世の中では顧みられなかったというか、一顧だにされなかった概念が、「ひょっとしてこれ、ちゃんとやらなきゃいけないんじゃないの?」と、意識の高い人間から考えられるようになってきたんです。経団連とか、同友会とか、官僚とか、外国のやり方にいち早く学ぶことができた人たちが取り入れ始めて、じわじわと広がっていったと思います。
日本企業が行き詰まっていることもあって、「これはちょっと、やらにゃいかんね」ということになったんだけど、最初のコンセプトは中堅の人たちが出すわけです。昔の日本では、偉い人が言うことが何でも正しくて、中堅が何を言っても聞いてもらえなかったですよ。だけどこれが通りやすくなったんですよ。
飯坂 はいはい。
運営者 「あれっ、株主重視というのが必要なのか。株主かあ、そういう人たちもいたなあ」と(笑)。
飯坂 経営者にしてみれば、それまでは株主のイメージというと、安定株主以外は総会屋くらいしか思い浮かばなかったでしょうからね。
運営者 あと銀行ですか。持ち合いでしたからね。でも苦しくなって持ち合い株を売ってしまうと、そのイメージも変わってきます。
それで、90年代後半には日本企業は丸裸になってしまった。そして最後の最後に社員に手をつけるリストラが始まったわけです。
「もう売る資産もない、構造改革をしなきゃいけない」という状況まで追い詰められたときに、初めて中堅若手の意見が日本企業の中で幅を利かせるようになったというのが、『金融腐食列島』に描かれたことなんですね。切羽詰まらないと、若手には発言の機会がないんですよ。
2000年当時、みんなお手上げになってしまった。それまで業界支配をしていた役所が、まずどうしたらいいのかわからなくなった。企業も追いつめられて、どうしたらいいのかわからなくなった。それで、さっき並べたようなコンセプトが、ひとつの制度的補完性を持つひとつのセットとして、主に企業経営に取り入れらて行ったと思うんです。
それが、社会の他のセクターにも導入されたと思います。
ここにおいて、日本の社会制度は大きな変革の一歩を踏み出していたと思います。この認識は重要です。誰か学問的に検証してくれたらいいのになと思いますね。