小泉登場
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 一方、政治の世界にもそうした変革の流れが押し寄せていました。
田中派流の公共事業ばらまき政策が、景気回復に奏功しないことが判明したとき、自民党の長老どもも企業経営者同様に、どうすればいいのか分からなくなったわけです。一方業を煮やした国民は、改革を望んでいた。
そういう状況の中で、地方の声に押されてれて出てきたのが小泉さんです。党員投票において、地方票の方が国会議員の票よりも多かったんですから。
飯坂 小泉さんの総取りだったですからね。
運営者 総取り方式でしたから。あの時は私は、ホントに快哉を叫びましたね。
森-小泉の経済政策的のバックにいたのは竹中さんだから。小泉さんは経済政策はよくわからなかったかもしれないけれど、天性のカンを持った政治家だったから「竹中さんを使おう」と思っていたわけです。
郵政改革が一枚看板でしたしね。小泉さんの『郵政省解体論』という本は、B&Bの勉強会がきっかけでできた本です(笑)。昨秋に郵便局が民営化されましたが、われわれもそこに一臂の力を貸しているわけですよ。
飯坂 ははは
運営者 でも01年の総裁選の時、自民党の党内では4人の候補者の中で小泉さんの声は小さかった。橋本龍太郎なんか自信満々でね。
ところが当時、選挙の時に公開討論会なんていうのが入り始めたころで、テレビで見てみるとどう考えたって小泉さんが言っていることのほうが国民の心には響くわけです。言ってることはとにかく、オープンで陰ひなたのない信頼できる感じが国民に伝わった。これまでになかった政治家のスタイルです。これは新鮮でした。
地方投票の結果が先にオープンになって、地方の自民党員も、「このままではいけない、改革するべきだ」ということがわかっていて、小泉優勢が伝えられたわけです。その声に押されて結局みんな立候補をやめちゃって(亀井はそんときのことを「貸し」だと思っていたみたいですが)、決選投票で橋本龍太郎を破り地滑り的に小泉さんが勝った。
2001年の春だったと思いますが、快哉を叫びましたね。「この国でもこんな事があるんだ」と。それまでの僕のイメージでは、自分はいつもマイノリティーで、自分が応援している勢力が主流派になるという瞬間はあまり見たことがなかったわけですよ。
飯坂 ふんふん。
運営者 しかし小泉さんが首相になった。それで彼が組閣をするときに、竹中さんに「来てくれ」ということで、竹中さんは入閣する前にわたしが竹中さんの指示でつくった「政策課題2001」を参考にして、最初の骨太のプランを出したと。
僕の持ってる思想的なバックボーンは小泉改革の中心である竹中路線と軌を一にしていたんです。
飯坂 そうですね。
運営者 それを具体的に言ったのが、さっきお話しした一連の改革コンセプトなんですよ。あれを信じる者と、信じない者に、日本人はおおきく分れているんです。これ即ち、「新日本人」論のコンセプトなんです。