竹中-木村は何をしたのか
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 で、その当時すでにもう金融は死んでいたわけです。あべし。ひでぶ。10年にわたる機能不全です。
その時にきら星のごとくに登場したのが竹中さんと通じていた、われわれの友人の木村剛さんという人でした。
この人は過激な人で、金融を立て直すには、「さしすせそ」といって、「だめな銀行は、さっさと潰せ、すぐ潰してしまえ」といった調子で、ヤバイ銀行に対して非常に過酷な要求を行い、不良債権の元凶となっている大口の融資先について、潰す可能性もなきにしもあらずという「30社リスト」なるものを・・・(笑)。
実際彼らの進めた金融再生プランによって公的資金が注入され、あれだけダメだった日本の銀行も立ち直ったわけです。銀行の名前は長くなって憶えにくくなったけど、彼らの功績はたたえられてしかるべきでしょう。
しかるに週刊誌は、「竹中木村が日本を滅ぼす」と騒いだわけです。無責任な、守旧派に媚びる国賊的な物言いで、当時はすごく憤りを感じましたよ。
飯坂 そういうふうに言われると、何か遠い昔のような気がしてならないね。
運営者 それこそ、巨人が前回優勝したときですよ。6年前。
飯坂 「もはや戦後ではない」といわれた昭和31年から昭和20年を振り返ってみたときのような感じかもしれないね。もはや15年不況ではないと。
運営者 私がこの話を蒸し返しているのは、まさに、「日本経済は立ち直ったからといって、そこで慢心していいのか」ということを言いたかったからなんです。
飯坂 ダメに決まってるじゃないですか。
運営者 話を戻すと、この小泉-竹中-木村路線がやったことは、金融機関を絞め上げて、結果として金融庁を肥大化させることになったかもしれません。まあそのおかげで、金融再編は成ったわけですが。
飯坂 第二大蔵省ができて、大蔵省は焼け太りしたんじゃないの。
運営者 行革の時に通産省がこだわったのは、大蔵省から金融庁に行った高級官僚が再び大蔵省に戻ってくることができないようにすることだったんです。それを彼らは、中央省庁改革法の中の付帯決議に折り込んでいます。重要なことは、この国では付帯決議に織り込まれます。だから人事的な交流ができなくなってるはずなんです。
銀行局から金融庁に行った人は、もう財務省に戻れませんから、金融機関引き締めのために般若のごとく、サド的に立ち回って、金融機関をいじめまくってますよね。
飯坂 だけど、トータルの天下り先の数は減ってないんじゃないかな。
運営者 いまや、政策金融機関のトップの民間人の登用が増えてきました。武藤を次の日銀総裁にするために、譲ってただけなんですけどね。その野望も、自民党の参院選敗北で潰えたし。
しかし、彼らは肉を切らせて骨を断ちますから。悪知恵だけは働きますから。財務省出身日銀総裁のポストは、ぜったいあきらめてないと思いますよ。かならず回復を図るはずです。