「何が正しいのか」ではなく
「誰が言ったか」を問う体質
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 大蔵省の何が問題だったかというと、大蔵省は非常に広範な大きな行政権限を持っているということだったと思います。国税庁とか税関といった捜査権限を持っている機関まであるんですから。
霞ヶ関の隅々まで目配りをして、天下りと閨閥によって政財界にも支配力を伸ばしているという鵺的存在、それが大蔵省ですよね。だから日銀総裁ポストを取り上げないといけないんです。
行革の時は、この一角をいかにしてうち崩すか。本当は国税庁を取りたかったわけですが。
飯坂 確かに、国税庁が取れたら大きいよね。
運営者 本当はもっと意固地な考え方で、通産省は、「大蔵省」という名前を変えさせただけで大戦果だと思ってるんですよ。日本一古い役所の名前ですからね。大蔵省側も非常に固執していたわけです。その名前を変えさせるために、通産省は自分が先に「経済産業省に名前を変える」と発表したわけです。
まあそういうのは、霞ヶ関のバカどもがこだわるような瑣末な話ですよ。せいぜいそのレベルのことをやっているのがあいつらなんです。自分たちは頭がいいと本人たちは思ってるかもしれないけれど。
飯坂 はー。
運営者 民間じゃ、そんなバカなことやってられないじゃないですか。
では次は民間に目を移してみると、この15年の間には、企業にはリマーカブルな変化があったようにも見受けられます。内部統制とか、個人情報保護とか、少なくとも法令順守しなきいけないとか・・・そういうのは、その前の企業にはなかった概念ですよ。
つまり縷々述べてまいりましたように、日本の組織というのは、これまでは人治主義だったわけですから。
人治主義というのは、例えばそごうの水島とか、西武の堤とか、そういう「偉い人が言ったら、白いモノも黒に変わる」という世界じゃないですか。
飯坂 一見日本の組織は10年前に比べるとかなり変わったように見えるけれど、日本の今の法令遵守は、法令遵守の中で人治主義なんだな。
運営者 それはおもしろい観察ですね。
飯坂 法令遵守の世界でも、法文の解釈として、「だれが言ったから、そう解釈されるのだ」ということを常に求めているように思います。
たとえば金融商品××法なんてものができて、何月何日から施行されるとします。でも肝心なところは政省令で定めると書いてあるので、それができるまでは何も対策できません。まあその間にパブリックコメントを集めたりしているんですが。
政省令、関連施行規則等が完備して、めでたく施行の日を迎えても、事例が出るまでは何が起こるか分からないので、みんな固唾を飲んで誰かが地雷を踏んでくれるのを待っています。そういう時に何かやらなければならない時には、より権威のある、権力に近い弁護士のオピニオンを持ってくる、と。
運営者 (笑) 実感として、そうでしょうね。法律の改正に携わった弁護士には利権があるんです。「何が正しいのか」が問題じゃないんですよ。「誰が言ったか」が問題なんですよ。
そうそう、こういう話があるじゃないですか。ある経済学者が学会で、斬新な発表をしたんです。
発表した後でドイツ人の経済学者がその発表者のところに行って、「あなたの考えはいかなる定理から演繹されたものか?」と尋ねたんです。
次にイギリス人の研究者が発表者のところにやってきて、「あなたの考えはいかなる経験から帰納的に導き出されたものなのか?」と聞いたそうです。
その後フランス人の経済学者が、「あなたの学説の名前をフランス語で言うには、どう言えばよいか」と尋ねました。
最後に日本人の経済学者がやってきて、「あなたの先生は有名な人ですか?」と聞いたって言うんですよね。
飯坂 はははは。