「いじめ」考
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 だって嫁はたいていよそからくるじゃないですか。そういう地方では、「よそから来た」ということだけで、嫁はいびられるんです。
ところがその嫁がおばさんになってくると、今度は地元民として、新しく来たよそ者を排斥し始めるわけです、その地域の文化に染まってしまって。この連鎖は断ち切れませんよ。
もし自分がよそ者扱いされてイヤな経験があったら、「自分だけはそういうことをするのはやめよう」と考えるかというと、そうじゃないんですよね。
飯坂 そんなふうに考える訳がありませんよ。旧日本軍で初年兵はいじめられるものであって、二年目になったら、「次はおれたちがしごく順番だ」と考える始めるんだから。
あるいは農家では、自分の娘は農家に嫁にやりたくないと思う親が多いようです。多少なりともいじめられて苦労するのがわかっているから。けれども自分の息子には働き者で従順な嫁が来てくれないと困る。自分勝手極まりないよね。
そういう考え方にみんながみんな共感できるというのはどうよと。姑が嫁をいびるのだって同じでしょう。
運営者 自分だっていじめられてきたんだから、自分も嫁をいじめてやる、と。
飯坂 そう。それって気持ちとしてはあるかもしれないけれど・・・。
運営者 「自分がその連鎖を断ち切ってやる」と思わないのはなぜなんでしょうかね?
飯坂 そう思わないのも不思議だし、そもそも「やらなきゃ損だ」と思うこと自体不思議ですよね。
運営者 それは、僕もまだよく整理できていないけれど、文化的程度が低い考え方ですよね。
飯坂 それもひとつの日本文化なんだよね。岡本さんは「いじめは日本の文化だ」という話をサイトに書いてたでしょう。
運営者 瀬戸内寂聴が「日本に千年前からイジメがあったことは源氏物語の冒頭に書いてある。イジメは日本のお家芸である」と書いていた件ですね。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふ」がいたわけでしょう。桐壺の更衣ですよ。それを他の宮廷の女官がいじめたわけじゃないですか。それを天皇がかばうところから源氏物語54帖のストーリーは始まっているわけです。
だけどおもしろいことに、光源氏の周囲にいる女性たちは、お互いにいさかいをしないんですよね。作者の願望が反映されているのでしょう。ただひとり六条の御息所は生きているときも死んでからも、光源氏の女性たちにとりついて悪さをしますけど、あれはいじめを超越していると・・・。
組織的な弱者に対するいじめの文化は、韓国やタイにもあるみたいですけどね。
飯坂 仏門というのは、かなりいじめがありそうな気もするけどね。禅なんて、入門するときに門の前に膝まずいて3日間動いちゃダメ、なんてのがあるんでしょう。