他人や自分をいじめることに
どんな功徳がある?
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 ダルマの面壁八年とかね。修業というのはそういうイメージがありますよ。通過儀礼というのもそう。
友人が裏千家の茶道をやっているんだけど、彼女は英語ができるので、裏千家で用意している英語で外人に教えられる資格コースも行ってみたらしいんですよ。そうすると、英語コースの方はすごくわかりやすいらしい。「日本語でも、最初からこう言ってくれたらわかりやすいのに」と悔しがってましたよ。
それから禅の公案集なんて、あの不可解さがイジメそのものだけど、悟りに到るまでの虐待、自虐についての話ばっかりですよ。
「具てい一指を立つ」(無門関第三)なんて、ある坊さんがいつも、問答をしかけられたら、指を立てるだけで答えるということをやっていたんです。その小僧が師匠をまねて、師匠から問答をしかけけられたときに指を1本立てました。すると師匠はその小僧の指を刀でバッサリ切ってしまいました。
小僧が泣きながら部屋を出ようとすると、師匠が小僧を呼び止めた。小僧が振り返ると、師匠は黙って指を立てて見せた。その瞬間に小僧は悟りを開いたとかね。まあ、人との心の通じ合いの大切さを説いたとされる話なんですが、意味があるのかないのかよく分からないような話ですよ。わざわざ指を切らなくても、伝えられるだろうと。
自らの肉体をいじめ抜くことが真理に到達するための早道だという一種の信仰があるのでしょう。
応援団というのはそうですよ。応援団がいくら声を枯らしても、勝敗にはぜんぜん影響ないんだけど、ひたすら自分の身体をいじめまくる。
飯坂 動物の世界なんて、いじめの世界だろうからね。弱い奴は徹底的にいじめられるわけだから。それに近いのかな。
運営者 案外そうでもなくて、動物は無駄な行動はしないものなんですよ。激しい競争の中で生きてますからね。
「意地悪」は、生物学の世界ではどのように定義されるかというと、生物は自分の遺伝子頻度を最大化するために生きているわけですから、無駄な行動をなるべくしないようにしています。そういう中で、自分の遺伝子頻度を増加させることに関係のない方向で、他の個体にちょっかいを出しているケースがあります。それを意地悪と定義してるんです。
飯坂 なるほどね。
運営者 「いじめ」というのもおそらくそういうことで、ストレスやら心理的、制度的な要因によって、まったく自分にとってプラスにならないのにやってるんでしょう。相手から多少の金を巻き上げたって、実質的にはどうっていうことはないわけですから。
相手に優位に立っているというだけで、自分の存在感を自覚できたり、集団の中での地位を確認したりということでやってるわけでしょう。マウンティングに近いですよ。そういう意味合いでは動物も人間も同じだと思うんです。
飯坂 なるほどね、いじめというのは自分の得にならないにもかかわらず他の個体の利益を奪うということなのか。