高度経済成長の日本に
「個人」は存在しなかった
インタビュアー 飯坂彰啓
運営者 そういう政治構造は、フラクタル的にどんどんずれて発展していきます。
摂政関白も征夷大将軍も、もともとの律令制には想定されていない令外の官です。そして彼らは「後見」と呼ばれていました。このように権力の中心をどんどんずらして、下降化し、まるで家の中でのことでもあるかのように政治自体が内部化するというのが日本の支配体制の特徴なんですね。
だから日本の統治は、「中空構造」であり、そういう支配構造があったときに、このシステムではだれひとりとして責任を持たないし、だれひとりとして「自分がこのシステムを支えている1人である」というふうに意識しません、その裏返しとして「自分がこのシステムを引っ張っているんだ」というリーダーシップも存在しないということです。
つまり、責任もなければ、「何かをクリエイトしなくちゃならないんだ」という発想も持たずにすむわけです。付加価値をつけることなく生きていいかれる、近代社会以前の社会の成り立ちなわけですね。
これが、「お神輿経営」の来歴なんだと思いますよ。
飯坂 確かに日本の社会は、責任を持たずに済んできた社会だと思うのですが、でも現実的には日本の社会は成功を収めていますよね。明治維新後の成長と、高度経済成長と。
なぜ過去においてわが国は、そういう成功を収めることができたんでしょうかね。
運営者 それは簡単な理由で、明治維新が終わった直後の段階では、「幕藩体制的な共同体的集団無責任体制から脱却するべきである」というような思想や、あるいはその思想が自分の立場に反映されてそういう考え方を持つ人たちができたわけです。
明治維新から10年間くらいは欧化思想の花盛りで、西洋からのものであれば何でもありがたかった時代でした。
丸山真男は、「タガが外れた状態である」と言っています(『開国』)。だけど一部の支配層の人間は、「新しい時代を自分がコミットして切り開くのだ」と考えていたでしょう。例えば資本に付加価値をつけてリターンを得て、それを再投資するような自立した個人としての動き方を身につけ、それを実行していった明治から大正にかけての日本の実業人の生き方だったのでしよう。
だから急成長したんですよ。
それでは、全体主義的な戦時体制を経た戦後はどうだったのかというと、おそらく戦後はそういった過去の実業人の文化の生き残りと、地政学的な環境の良さ、円が安い、質の高い労働力がある、他にそういった大量生産を供給するような生産基地が国際的になかった、といった環境条件の良さによって、成長することができたのだと思うんです。
丸山は『開国』という本の中で、日本がなぜうまく開国できたかというと、儒教的な「天」の発想で、天を国際社会に置き換えることによって、「国際社会の常識は、お天道様が言っているようなものなんだから、それに従った方がよい」という読み替えをしたと言っています。それは今の国連中心主義と全く重なることですよね。
「儒教的な天道・天理の観念における超越的な規範性の契機を徹底させることを通じて、諸国家の上に立ってその行動を等しく拘束する国際規範の存在の承認」がスムーズに行われた。
「国際法・国際道徳の存在・国際信義の守られねばならぬ所以は、宇宙において支配している条理が同時に人間社会に道として妥当しているという儒教的自然法観念を濾過することによって内面的根拠を得た」(『開国』)
だけどそれは表面的な国際性の受容でしかなくて、日本的な共同体統治の構図のままでは、「個人」というものは存在しえないんです。